「今晩、もう1回、飛ぶかもしれません!!」
「なんだか頭が重いの……」
朝、我が家の2階の台所で彼女が浮かべた苦しそうな表情。忘れもしない、2008年4月24日のことだ。このとき、カミさんは74歳になっていた。
この日、カミさんは、御成門の専門学校で講義の予定が入っていた。
「ペコ、学校に電話して、講義は休ませてもらったほうがいいんじゃないのか?」
「でも、啓介さん、そういうわけにもいかないし……」
彼女の持ち前の責任感からだろう。カミさんは、不調を押して出かけて行った。
午後3時頃。僕が仕事から帰宅すると、我が家の電話のベルが鳴り響いた。
「今、慶應病院にいるの。すぐに来て」
いつになく動転し、ただならぬ様子のペコの声。僕は慌てて信濃町にある慶應義塾大学病院へ車を飛ばした。到着すると、カミさんと一緒にいたマネージャーの小林が、事の一部始終を教えてくれた。
「大山さん、学校で講義を始めようとしたんですが、身体がどうにもしんどかったそうなんです。学校の方から『帰って休んだほうがいいですよ』とおっしゃっていただいて。それで、二人でタクシーに乗ったんですが、大山さんは、やっぱり何かおかしいと思ったようで……。青山一丁目の交差点で、運転手さんに右に曲がってもらったんです」
青山一丁目の交差点を左に曲がれば、僕たちの自宅のある目黒方面。ところが、いつもと違い余程、体調が悪かったのだろう。自宅に戻らず病院に行ったほうがいいとカミさん自身が判断し、右折するようタクシーの運転手さんにお願いしたのだ。
それだけしっかりしているなら、大したことはないんじゃないか。
最初、僕はそう思った。だが、医師から病状を聞かされたとき、僕は言葉を失った。
「脳梗塞です。今すぐに入院してください!」
「えっ……。脳梗塞って、あの脳梗塞ですか?」
「今晩、もう1回、飛ぶかもしれません!!」
「飛ぶって……あの、何がですか?」
「血栓が脳に行って詰まるということです。1回軽く飛んでから、また、その晩にもう1回飛ぶことが多いんです。そうすると麻痺が残り、身体をうまく動かせなくなったりする可能性があります」
金槌で殴られたようなショックを受け、僕は頭が真っ白になった。
僕に脳梗塞についての詳しい知識はなかったが、一命を取り留めても、身体に麻痺が残ったり、記憶に障害が出たりすることぐらいは知っていた。
「とりあえず、ご主人は今日はお帰りになってください」
医師に促され、僕は後ろ髪を引かれながら自宅に戻ったが、その夜はなかなか寝付けなかった。
カミさんは歩けなくなってしまうのか――。
あれだけハキハキと動く口が回らなくなって、上手にしゃべれなくなってしまうのか。
美味しそうに食事を頬張ることもできなくなってしまうのか。
僕のことを……二人で過ごしてきた時間を……忘れてしまうのか――。そんな不安が頭の中をグルグルと駆け巡り、どんなに振り払おうとしても、何度も何度も浮かび続けた。