パフォーマンスしなかったが、ファンへのサービスを決して忘れなかったマイケル
世界規模の大成功へと導いたのは、プロデューサーのクインシー・ジョーンズの功績も大きい。
音作りに関して先入観を持たずに、新たな試みに参加してくれるような外部プロデューサーと組みたかったのです。いい耳を持っていて、曲を選ぶのを助けてくれるような人を必要としていました。それがクインシーだったんです。
それまでのモータウンでレコーディングされていたマイケルのアルバムは、制作サイドが主導して作られたものだった。現場においてもマイケルは歌を歌うだけの存在だったが、クインシーと組んだ『オフ・ザ・ウォール』(1979年)から、マイケルのアイデアも盛り込まれることとなった。
ポール・マッカートニーやエディ・ヴァン・ヘイレンなどの豪華ゲストを迎えたアルバム『スリラー』は、ビルボートの年間チャートで2年連続(1983〜84年)トップとなり、No.1ヒットの『ビリー・ジーン』『今夜はビート・イット』を含む7曲全てがトップ10ヒットを叩き出した。
MTV時代も追い風となり、大反響を生んだ『スリラー』の15分程度のミュージックビデオに使われた予算は、通常の10倍以上となる1億円を超えていたそうだ。
結果、『スリラー』は現在まで全米で3,400万枚、全世界で7,000万枚(1億枚以上の説もあり)という驚異的な売り上げを記録した。
グラミー賞の授賞式当日は、ノミネートされた話題のアーティストが次々に登場し、豪華アーティストのコラボレーション・ライブなど、ここでしか実現できないスペシャルなパフォーマンスが繰り広げられる。
しかしこの日、マイケルはパフォーマンスをしなかった。
壇上にジャネット、リビー、ラトーヤの三姉妹を呼び、家族全員に対する感謝の言葉を伝えた。客席では母親のキャサリンや兄のジャーメインも満面の笑みを浮かべていた。
ちなみにこの日、会場が最高に盛り上がったのは、マイケルがサングラスを外すシーンだった。
本当は外したくないのですが…親友のキャサリン・ヘップバーン(女優・当時77歳)が外すべきだと言うので。彼女と2階のファンのために外します。
マイケルはファンへのサービスを決して忘れなかった。
文/TAP the POP 写真/Shutterstock
引用元・参考文献
『ムーンウォーク マイケル・ジャクソン自伝』(マイケル・ジャクソン著・田中康夫訳/河出書房新社)