「自分とオーディエンスとの間に“壁”を築きたい」

すべての始まりは、1977年7月6日に行われたピンク・フロイドのツアー『In the Flesh』の最終日でのことだった。

モントリオールに建てられたばかりのオリンピック・スタジアムでの公演中。興奮した一部の観客たちが爆竹を鳴らし、殴り合っていた。

半年間にも及ぶ長いツアーで神経過敏になっていたロジャー・ウォーターズにとって、それは許し難い行為以外の何物でもなかったのだ。さらにステージのそばにいた一人の男が叫び声を上げて騒ぎ始める。

我慢の限界に達したウォーターズはついにその男の前に向かいかがみ込むと、顔に唾を吐きかけてしまった。

ウォーターズは自分の行為を後悔すると同時に、こう思うようにもなった。

「自分とオーディエンスとの間に“壁”を築きたい」

キャプ:ロジャー・ウォーターズ。バンドのリーダーだったシド・バレットの脱退後、創作面の中心に実質的なリーダーとなったウォーターズ。写真/shutterstock
キャプ:ロジャー・ウォーターズ。バンドのリーダーだったシド・バレットの脱退後、創作面の中心に実質的なリーダーとなったウォーターズ。写真/shutterstock
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17億の借金、破産寸前のバンドメンバーたちはやるしかなかった…

『THE WALL』は、ピンク・フロイドというよりもロジャー・ウォーターズの作品だったかもしれない。

この物語は大きく二つのパートに分けられ、「ピンク」として知られるロックスターの主人公が自分の人生を回想するというもの。

最初のパートはウォーターズの幼少時代が反映され、溺愛する母親、弱い者いじめをする学校の教師、そして第二次世界大戦での父親の戦死などが扱われる。

物語の後半では、主人公ピンクは結婚生活の破綻と愛の喪失によってドラッグにより深く溺れるようになり、ホテルの一室でTVをただ眺める孤独な日々の中、やがてある狂気に蝕まれていく……。

これは実際にロックスターとなったウォーターズの実体験に、1967年のデビュー当時、バンドのフロントマンでありながらドラッグが原因でパラノイアに陥って去っていったシド・バレットの凋落にヒントを得たもの。さまざまなところにシド・バレットの亡霊が描写されている。

他のピンク・フロイドのメンバーたちは、「ロジャー・ウォーターズの心の叫び」ともいえるその内容と壮大な構想に困惑したものの、やるしかなかった。

バンドはイギリスの莫大な税金対策のために行った他人任せのベンチャー企業投資がほとんど失敗し、17億円近くもの大金を損失。破産寸前で早く次のアルバムを出して金を作らなければならなかったのだ。