そもそもおまえはただの酔っ払いだろ!!
司馬遼太郎の『翔ぶが如く』にも「泥酔してもどった黒田が、ささいなことから妻を斬り、死にいたらしめたらしい」とある。大久保の意を受けた川路が、墓を掘って「他殺の形跡はない」と決めつけたとも書いている。国民的ベストセラー作家の記述も手伝い、令和の今まで黒田が妻を斬り殺したのは間違いないという話が広く普及してしまったわけだ。
司馬は黒田を「一定量の酒精が入ると人格が一変するという点では、かれに見るほどの典型症状はすくないにちがいない」ともしており、上役の「三条実美や同僚の伊藤博文、井上馨ですら(中略)乱酔中のかれから罵倒されたり、ピストルでおどされたりした」と書いている。アルコールなら何でも摂取したがるかのごとく、脅すのなら刀もピストルもなんでもござれな感じが確かに酒乱っぽい。
とはいえ、司馬に限らずだが、黒田の妻殺しの記述は、酒癖が悪いやつは妻も斬りかねないと決めつけている感がいささか気になる。実際、黒田の妻殺しは、少し調べるだけで、妻の斬殺シーンの状況が違ったり(例えば黒田が激高する理由が出迎えが遅かったでなく、妻が芸者遊びを咎めたのが原因とか)、事後に火消しに走った大久保の関わり方が異なったりしている。
これは当時の状況も大きく関係している。新聞に黒田の妻殺し疑惑をすっぱ抜かれたことで、反政府運動への飛び火を懸念した政府は黒田問題の鎮火に動き出す。
焦った政府は臨時閣議を開催。閣議は薩摩と長州の政争の具にされたところもあり、紛糾した。薩摩出身の黒田の醜聞とあり、ここぞとばかりに長州出身の伊藤博文が「掘れ!墓を掘って検視しろ」と激しく主張したとか。一国の未来を左右しかねない閣議で「掘れ!」と激高とは、明治維新の覇権争いの激しさがうかがえる。
ちなみにこの時の怨みが黒田にはあったのか、約10年後に酔って長州閥に狼藉を働くことになる。
内閣を率いていた黒田だが就任から1年半後の1889年10月に辞職に追い込まれる。当時、欧米列強との不平等条約の改正を進めていたが、妥協してまで進めたくなかった伊藤が自らも枢密院議長の立場にありながら、倒閣に動いたのが引き金となった。「伊藤の野郎‼‼いつも邪魔しやがって」と黒田が怒り狂ったことは容易に想像できるだろう。
薩長の派閥の違いもあり、汚名を着せられた形の黒田の怒りはおさまらない。同年12月に酔いに酔った黒田は伊藤と同じ長州閥の井上馨の邸宅を訪れる。訪れるといっても冷静に話し合う気はない。そもそもシラフではない。
井上は不在だったが、怒りはおさまらず、応対した使用人に「今日は明治政府の姦賊を誅戮する為に推参したり」などと数々の暴言を吐く。どっちが姦賊じゃ!そもそもおまえはただの酔っ払いだろ‼ とは使用人も突っ込みたくて仕方がなかっただろうが相手は酒乱。黙るしかない。