お風呂好きの日本人にとって、いまや生活の一部として定着しつつあるサウナ。北欧発祥とされているサウナ文化だが、ここ数年の日本における盛り上がりとともに日本独自の進化を遂げている。
その背景にあるのは、全く別の業界で活動していた仕掛人たちの存在だ。彼らが趣味をどのように仕事として成立させてきたのか、そこには日々の仕事に活かせるヒントが隠されている。
プロ野球・日本ハムファイターズの新球場「エスコンフィールドHOKKAIDO」で、野球を見ながら入れる、世界で唯一の球場内サウナ「towereleven onsen & sauna」を手掛け大きな話題を作った、ととのえ親方。日本全国、数多くのサウナをプロデュースしている。
株式会社コクヨの社長室長として、コクヨのリブランディングや領域拡張などを担当するかたわら、日本航空など200社(2023年11月時点)が加盟するジャパンサウナ部アライアンスの共同代表を務める川田直樹氏。
昨今のサウナブームの仕掛け人と言っても過言ではない二人に、サウナの原体験と、ビジネスとサウナの新しい可能性について聞いた。
――お二人のそもそものサウナとの出会いを教えてください。
川田直樹(以下、川田) 5歳のときに祖父とサウナに行ったのがきっかけで、一緒に銭湯に通ううちに、サウナから水風呂に入るルーティーンになっていました。
ととのえ親方(以下、親方) 僕は物心つくころにはサウナが好きで、大人になるまでに北海道中のサウナに入って回ったんです。成人してからは会社を経営し、北海道に遊びにきた道外の経営者仲間を、昼はラーメン、夜は寿司に連れて行く機会が多くて。ただその間にやることがなくて、とりあえず僕の好きなサウナにアテンドしてました(笑)。
――川田さんといえば、企業サウナ部の連合体「ジャパンサウナ部アライアンス」を立ち上げるなど、まさにサラリーマンとして「サウナのために汗を流した」第一人者だと思います。なぜ同アライアンスを立ち上げたのでしょうか?
川田 勤め先のコクヨにサウナ部を作ったのが2016年。ある時、7社のサウナ部で交流会をやろうとなって。サウナのことを語り合うと、初めて会ったメンバーなのに一時間ぐらいでめちゃくちゃ仲よくなって!
その場には男性も女性も、世代を超えてさまざまなメンバーがいたのですが、もしかしたら「『サウナ』というキーワードを通じて打ち解けあえることが多いのではないか」、とコミュニティの魅力を感じこのアライアンスをJALさんと立ち上げました。サウナを軸に企業同士が交流し新たな価値を生み出す、そんな活動をしています。
親方 ただのサウナアテンダーだった僕が、サウナに仕事として関わり始めたのは、友人と一緒に北欧を旅したとき、一人6万円ずつ出してサウナのTシャツを作ろうと現地で盛り上がったのがはじまり。いわゆる副業的にTシャツの販売を始めたのがきっかけでした。その活動を行うにあたっては使命感のようなものをずっと抱いていました。