センシティブな「ハゲ」「薄毛」の漫画を描くにあたって
『東京ハゲかけ日和』の第一回が配信された先々週の金曜日は緊張の一日だった。
まずは当然のこととして、自分の描いた漫画をどれだけの人が読んでくれるのかが気になったからだ。そして、それ以上に緊張の理由となったのは、「ハゲ」や「薄毛」というものは、人によって受け止め方にかなり温度差があるトピックだということを実感していたから。これは自分が当事者となり、またこの漫画を描くにあたっていろんな人からお話をうかがうことでわかったことだった。
近年よく話題になることだけど、僕が子どものころの社会では、他人の見た目を話題にすることが、さほど悪いこととはされていなかったように思う。
髪が薄い、体毛が濃い、くせ毛、太っている、痩せている、背が低い、背が高い、顔の造作が云々…。そもそも大人が子どもの前で平気でそんな話をしていたし、テレビのバラエティ番組をはじめとするエンターテインメントでも抵抗なく話題の対象に、さらには笑いのネタになっていた。
それがなぜ現在のような状況に変化していったのか。
これにはさまざまな要素が複雑に絡み合っていて、答えは1つではなさそうだ。改善が進んでいると捉える人もいれば、息苦しさを感じるという人もいる。
僕個人としては、子を持つ親の身としては「いい世の中になったなあ」と思うし、演芸好きの中年としては「昔のほうがよかったかも」と思うこともある。けれど仮に10歳若ければ、逆に10年歳を重ねていたとしたら、また違った考えを持つだろうということも想像できる。
個人の心の中で年齢や状況に応じて判断の基準が変化するのだから、人それぞれ「許せる/許せない」の判断が違うのは当然のことなのだ。
そんなわけで『東京ハゲかけ日和』も、楽しく読んでもらいたいと思う一方で、誰かを傷つけてしまっていたり、厳しい意見をいただくことがあるだろうと考えていたのだった。そして、そういった反響は当然あって、申し訳なく思ったし、落ち込みもした。
ただ1つ、意外な反響もあった。SNSで「実は私も…」と現状や治療に関するエピソードを話してくれる友人やフォロワーの方が現れたのだ。
ネタになりそうな話題を提供してあげようという親切心を感じてありがたかった。さらにはなんとなくこの漫画で、そういったトピックを「話せる空気」が作れたのでは…と考えるのは都合がよすぎるだろうか。
加齢による身体の変化は、遅かれ早かれ誰にでも訪れることだ。
厄介なのは、それがいつ・どういった形で現れるかは選べないということだけど、せめて近しい間柄だけでも、そんな変化を普通に話せるような世の中であってほしいし、きっかけになる漫画になってくれればいいなあ…というのが今の僕の思いです。
【漫画】東京ハゲかけ日和第2話(漫画を読むをクリック)
第3話の配信は11月17日(金)18時の予定