谷村新司がアイデンティティ統一をはかった曲とは
……ということを話していたら、妻が言った。
「え? アレがあるじゃない。小川知子とのデュエット。すごくいやらしいやつ」
そうでした、アレがありました。
アリス解散後の1984年、谷村新司が小川知子とのデュエット曲としてリリースした『忘れていいの-愛の幕切れ-』である。
「忘れていいのよ私のことなど
一人で生きるすべなら知ってる
悲しいけれどこの年なら
遠ざかる愛が消えてゆく
涙あふれても逃げない バスが行くまで
涙あふれても逃げない バスが行くまで」
『忘れていいの-愛の幕切れ-』作詞・作曲/谷村新司
谷村新司が当時の大ヒットテレビドラマ『金曜日の妻たちへ』の世界を歌にし、同ドラマに出演していた小川知子にデュエットを持ちかけたというこの曲。
恐らく道ならぬ恋に終止符を打ち、別れる男女の悲哀を描いた歌詞は、これまでの谷村新司のヒット曲にはないほど直接的な表現を用いた、ある意味、どろっとした演歌的内容だ。
そして何より強烈だったのは、CMでも流れたミュージックビデオで見せた、シンガー二人の絡みだった。
曲の終盤で谷村新司は、重なるようにして前に立って歌う小川知子の胸元に、背後からじわじわと手を滑り込ませていくのである。
この演出は小川知子からの提案で取り入れたものだそうだが、当時中学2年生だった僕はこのシーンをテレビで目の当たりにし、内なるマグマが沸々と音を立てるのを感じた。
中学生ながらもちろんしっかり観ていた、年嵩の男女の愛憎入り混じる不倫劇を描いた『金曜日の妻たちへ』との相乗効果もあり、大人の世界のいやらしさを、これでもかというほどガッツリ刷り込まれたのである。
これはまったくの想像だが、谷村新司という人は、先行する“エロキャラ”イメージと、ミュージシャンとしての立ち位置にギャップがあることをみずから感じ、この曲をリリースすることによって、アイデンティティの統一をはかったのではないだろうか。
そんなことを思いながら、改めて動画共有サイトに転がっている『忘れていいの-愛の幕切れ-』のデュエット動画を見ると、今でもちょっと目を伏せたくなるほど気まずい気分にさせられて、なかなか趣深い。
最後の最後に正直なことを言ってしまえば、僕自身はアリスというバンドや谷村新司という人に深く傾倒したことはなく、ヒット曲を表面的に愛でる一般人の域をでない感情や知識しか持ち合わせていない。
だからここまで書いてきたことは、コアなファンからすると的外れな薄口評論であるかもしれないが、もしそうだとしたらご指摘を甘んじて受けたいと思う。
とにかく、一時代を築いた稀代のミュージシャンがまた一人この世を去ってしまったことは寂しい限りだ。
心より、冥福をお祈りいたします。
文/佐藤誠二朗