「ノット・イン・マイ・バックヤード」
かつては、もしかすると今でも多分に、公営競技の競技場や場外発売所は「迷惑施設」として扱われてきた。
渡辺俊太郎は祖父が創業したJPFを継いだ後、早稲田大学の大学院でスポーツビジネスの研究をおこない、その成果を修士論文「競輪場が果たすべき役割についての研究」としてまとめている。
競輪場がこれまで単なるギャンブル場としてのみ活用されていたことに対し、今後は自転車競技やサイクルスポーツの場として活用されるべきだとしている。
また、以前おこなったインタビューの際、JPFが運営を受託している富山競輪場を渡辺が「改築前の東京拘置所」と形容したことが強く印象に残っている。
NIMBYという言葉がある。“not in my backyard”の頭文字をとった言葉で、「必要ではあるが、私のそばに存在して欲しくない」迷惑施設のことだ。ゴミ焼却施設や火葬場、場合によっては学校などもNIMBYとされる。
第二次世界大戦後や高度成長期、たとえ僅わずかでも、社会インフラ整備のための財源が喉のどから手が出るほど欲しかった地方自治体にとって公営競技場はNIMBYそのものだった。昼間からギャンブルにいそしむよからぬ人間が集まり近隣住民に迷惑をかける施設だった。
それゆえ主催・施行者は「善良な市民」の目にできるだけ触れないようにし、競技を積極的にアピールしようとはしなかった。
かつて北海道地方競馬(道営競馬)にコスモバルクという競走馬がいた。
コスモバルクは地方競馬所属のまま中央競馬に挑戦し、2004年の皐月賞で二着、秋には菊花賞の前哨戦のセントライト記念でコースレコードを更新し、菊花賞では四着、国際GⅠ競走のジャパンカップでも二着という好成績を残す。さらに海外にも遠征し、06年に国際G1競走のシンガポール国際カップで優勝した名馬だ。
北海道内のマスコミはコスモバルクを「道民の星」と賞賛した。当時の高橋はるみ知事も応援メッセージを送っていた。
だが、道営競馬の主催者北海道がこのコスモバルクを広報紙などで大きく取り上げることはなかった。
売上低迷期で存廃問題が浮上していた時期だ。売上を少しでも増やさなければならなかったはずなのに、競馬を主催する北海道はその存在をアピールしなかったのだ。