ノミ屋の興隆と衰退
八百長レースが発覚するきっかけのひとつは不自然な投票券の売れ方だ。ある発売所で特定の買い目に不自然に大きな買いが入ることで発覚する(前掲『サインの報酬』)。
語弊のある言い方かもしれないが、八百長レースでも馬券や車券の売上は主催者・施行者にはいる。そうした意味で、八百長レースは競技のイメージを損ない、その発生抑制にコストを要するから大局的にみれば許しがたい行為だが、短期的・局所的には売上に直接響くものではない。
だが、ノミ行為は主催者・施行者の得るべき利益を侵害すると同時に、暴力団の組織的な資金獲得手段となってきた。
歴年の警察白書の暴力団のノミ行為に関する記述をみると、1975年版では、公営競技の大衆化を背景にノミ行為が年々増加しているとある。
74年6月、札幌西署は賭け金数億円を動かしていたノミ屋を逮捕した。このノミ屋は元々スナック経営者らが始めたもので、口コミで徐々に顧客が増え、当初活動の拠点だった自宅マンションが手狭になり、別のマンションに専用事務所を構えるまでになっていたという(北海タイムス社『北海道の競馬』)。
同書によると、北海道警察の74年のノミ行為検挙者数は112人でその7割が暴力団員だとしている。
なかには、競馬場の指定席に招待し、その場でノミ行為をおこない摘発された事例さえある。客には弁当やビールが振る舞われ、さらに混雑する窓口に行かなくてもいい。ノミ行為は違法だが主催・施行者以外の「被害者」のいない犯罪だ。客も罪の意識が薄かった。
吉国意見書で場外発売所設置の容認や電話投票の活用に言及したのにはこうした背景がある。札幌のススキノは日本中央競馬会がまっさきに場外発売所を開設した場所のひとつだ。
75年には暴力団の壊滅を目指す警察の第三次頂上作戦がはじまっていた。
中央競馬の場外発売所の開設が続くなか、ノミ行為の摘発件数、検挙者数は78年の2703件、9827人(うち暴力団員5709人)をピークに減少に転じる。
その理由は、78年から79年にかけておこなわれた山口組と稲川会に対する集中取り締まりの影響もあるだろうが、ノミ屋の最大のマーケットだった中央競馬の場外発売が拡がったことも大きいだろう。
『八四年版警察白書』には「電話の自動転送装置や自動車電話等を利用してノミ受け場所を隠ぺいするなど悪質化、巧妙化している」とあり、ノミ屋もハイテク化していることがわかる。
山口組の跡目相続をめぐり84年から始まった山口組と一和会の抗争事件などを契機に、全国的に暴力団の事務所や暴力団の諸行事が地域から締め出されるようになる。全国すべての公営競技場で暴力団員の入場が拒否される。
92年には暴対法が施行され、バブル崩壊以降には、公営競技の売上全体が落ち、マーケット自体も縮小する。さらに20世紀末からは電話投票・インターネット投票が普及し、ノミ屋のマーケットはさらに縮小する。
ノミ行為の摘発件数は減少の一途を辿たどり、2016年度には摘発件数は8件と一桁になり、21年度には摘発件数はついにゼロとなった。摘発件数ゼロということと、ノミ行為がなくなったということは同義ではないが、暴力団そのものも衰退し、資金源としてのノミ行為もほとんど意味をなさなくなったということだろう。
文/古林英一
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