「みんな」至上主義

「みんなのために、みんなと同じことをやる」という教育は、日本人の感性とぴったり合致した。江戸の里山の頃から受け継がれてきた考え方であると同時に、富国強兵を掲げた明治期の集団主義教育とも重なる下地があったからであろう。集団で暮らすためには、温和な家畜のように自主性がないほうがよい。

社会の制度も日本人の自己家畜化を後押しした。成人男性にとっては仕事が人生の中心であり、福利厚生などの社会制度も「会社員と専業主婦」の家庭を標準にして設計された。父が大黒柱となって生活費を稼ぎ、母が家事・育児・介護を一手に引き受ける。

いわゆる「日本の伝統的家族観」も、突き詰めればせいぜい明治〜昭和のモデルに過ぎないのだが、選択式夫婦別姓や同性婚に反対する自民党議員の大半はいまだにこの幻影にシンパシーを感じているようだ。

海外のビジネスパーソンからはエコノミックアニマルと皮肉られても、当の日本人たちは働くことに価値を見出し、全力で仕事に向き合っていたはずだ。なぜならそれが「お上」が提示する新たな美徳であり、指針であったのだから。

「男は働き女は家を守る」…選択式夫婦別姓や同性婚に反対する自民党議員の大半はいまだにこの昭和の伝統的家族観の幻影に取り憑かれている_2

さらに好景気に沸く1980年代には、大企業のサラリーマンは「気楽な稼業」として認知されていく。大企業の社員であれば、年功序列で自動的に昇進できた。