天皇の神性を勘違いしたマッカーサー
日本人の自己家畜化を考察していく上で、天皇の存在についてもあらためて考えていきたい。
第二次世界大戦で負けた国のトップを、アメリカはなぜ生かしておいたのか?実際、ソ連やイギリスは戦後に天皇への厳罰を主張しており、アメリカ国内でも処刑を望む世論が強かった。だが、アメリカは天皇を処罰しない決断を下した。
アメリカにとって日本は、神風特攻隊のような自殺行為を仕掛けてくる不可解な国という認識だったに違いない。そのトップに立つ昭和天皇を死刑に処してしまえば、国民の憎悪感情はアメリカに向かってくるだろう。ゲリラ行為が多発して統治が困難になるかもしれない。
それならば、ひとまずは政治権力から切り離した場所で生かしておくのが得策だろうとの判断だったようだ。
だが、それはアメリカ側の勘違いに過ぎなかった。天皇を神だと心底信じていた日本人は、実際のところほとんどいなかったからだ。もちろん、戦中には「天皇陛下万歳」と教え込まれ、天皇のために命を懸けるようにと当時の人々は教え込まれた。
だが、そもそも地方の里山で、自給自足で暮らしていたような庶民にとって、天皇への敬意などは後付けの表層的なものに過ぎない。
天皇制が象徴天皇制に切り替わったからといって、多くの国民から激しい反対の声が上がったという記録もない。それよりは目の前の今、今日を生きることに皆が必死だったからだ。
それどころか、「天皇陛下万歳」と叫んでいた人々が戦後は一転して「マッカーサー万歳」となったのだから、日本人の切り替えの早さたるや恐るべしだ。崇める存在が変わっても、抵抗なく受け入れてしまう。これこそが日本版の自己家畜化の典型例だろう。