地下室の恐怖

オルハの取材のあと、多くの市民が拉致されていた市中心部の雑居ビルを訪れた。携帯電話のライトを手に薄暗い地下へ下りると、いくつかの部屋が並び、鉄のドアにそれぞれ黒スプレーで番号が振られている。

真っ暗で、冷たく、黒カビが生えており、まさに監禁場所そのものだ。絶望的な雰囲気にぞっとした。

ロシア軍占領地での拷問の実態「私が泣き叫ぶのを見たがっていた」24時間監視、ペットボトルに排尿…26歳ウクライナ人女性が受けた暴力の数々…手と足の指にコードを結び、電気ショックも_3
市民が拉致監禁されていた地下室の雰囲気にぞっとした(2023年1月、ヘルソン)。『ウクライナ・ダイアリー 不屈の民の記録』より

3と書かれた部屋に入ると、案内役の男性が語った。

「私はあそこ(配管)に鎖でつながれ、ほかの3人の男性とともに、ここに1か月以上監禁されました」

この男性はロシア軍への抵抗活動に参加し、デモを組織したり、ウクライナ軍にロシア軍の情報を伝えたりしていた。そして、22年8月末に交際相手の女性とともに捕まってしまう。

地下の部屋はそれぞれ6畳から8畳ほどで、4人から10人ほどが収容されていた。室内にはビデオカメラが取り付けられ、24時間電気が点(つ)けられていたという。

3号室には、排尿排便のためのボトル、冷たい床に敷いて寝たという小さな薄い簡易カーペット、それに歯ブラシと歯磨き粉を入れた1つのコップが残されていた。歯ブラシはレジスタンス活動をしていると疑われた70代の男性が持参したものだそうだ。

男性によると、食事が与えられるのは週に1〜2回で、飲水が許される地下の水道の水は濁っており、Tシャツで濾(こ)して口に入れた。そして、オルハと同じように、殴打や電気ショックによる拷問を繰り返された。

拷問室は一階にあり、さらにビデオ撮影のための部屋もある。痛めつけて、ビデオの前でロシアを支援しているという「告白」を強要するのだ。

もし、自分だったら。そんな考えが頭をよぎった。ロシア軍の侵攻直後、キーウで私が怯えていたのは自分や家族がこうした状況に置かれることだった。私はきっと恐怖と痛みに耐えられない。