近代的自我を消す
旅のほうが楽しい

―― 冒険という行為は自力的であればあるほど価値が高いと考えていた角幡さんが、犬橇旅行は「自力」なのか「他力」なのかを考えるくだりが印象的です。犬橇は他力的に見えるが、実はそうではなくて9割は〈他力が自力に転換する〉と。しかし残りの1割は犬自身の判断になると。ここが、今仰った、犬に“任せる”部分でしょうか?

 そうですね。今まで僕は全部自分の力でやりたかったんです。今もその気持ちはあるんですが、犬橇や狩りをすると、自分の力だけではどうしたってうまくいかない。要するに、自分に従わせようとするからストレスになるわけですよ。だったら犬たちは自分の思った通りには動かないことを受け入れて、その動きに自分が巻き込まれていくほうがいい。本では〈組み込まれていく〉という言葉を使いましたが、狩りも同じで、海豹の出現ポイントに合わせて旅を組み立てていく。目的の場所に直線的に進んでいくのではなく、周囲の土地や自然に組み込まれていくことで、僕の旅はより自由になっていくことに気づいたんです。

―― 自然に組み込まれていく旅は、角幡さんが求めてきた人間社会の外側に出る「脱システム」につながりますか?

 究極の脱システムですね。つまり自分の行きたい場所よりも、土地の条件を優先するわけですが、これが最初はなかなか難しい。自分の意思を優先することに慣れているからですね。でも、いわば近代的自我を消して、土地の力を利用したほうが、犬橇のルートもうまく見つけられるし、狩りもうまくいく。結果的に犬も疲れず楽しそうだし、僕も楽しい。楽しいことはいいことだ。犬橇でも、目的達成を第一とする近代的な行動原理でもって、乱氷帯をゴリゴリ突き進むこともできるんですよ。でもそういう旅は、犬も僕も疲れるし、達成感はあっても、喜びはないんです。

―― でも近代の探検や冒険って一般に、ゴリゴリ進むものでしたよね?

 はい。僕もそうやってきたんだけど、どこかで自分の行動に違和感を覚えていたんです。それはやっぱり、自分の行動が周囲の自然や土地とうまく嚙み合っていないことによる違和感だった。土地と調和し、関係を築くことができるようになってくると違和感が消えて、自由を感じるようになったんです。近代的な思考回路や行動原理から解き放たれているという意味で、こうした旅は究極の脱システムだと思います。そしてこの脱システムを支えているのが、土地への信頼であり、犬への信頼です。

犬の天分、人間の天分

―― 犬橇を始めたことで行動範囲が広がり、第一部で失敗した海豹狩りにも再度挑みます。何度逃げられても粘り強く対峙していると、ふいにチャンスが訪れたりもする。狩猟者として研ぎ澄まされていく感覚はありますか?

 それはありますね。狩りを本格的に始めて4、5年なので、まだ初心者なんですが、海豹狩りは50回以上やっているので、相手の心理状態がわかるようになってきました。これ以上近づくと逃げるなとか、今不安になってるぞとか。
 不自然な存在になると獲物に気づかれるんです。この前、鹿を追いかけたときは、鹿のいそうな場所に、鹿になり切った気持ちで、できるだけ殺気を出さず、鹿の歩き方をイメージしながら近づいていきました。言語化するのは難しいんですが、循環している大気のなかに自分を溶け込ませるような感じですかね。といっても人間だから、森のなかではおかしな存在感を醸し出しているとは思うんだけど。狩猟民族だった頃の人間の心性をどうやって獲得するかは、今の僕にとって、重要なテーマです。

―― 犬との関係も3年間でどんどん深まっていきます。激走する犬に対して、〈走ることはまぎれもなく犬の天分である〉と。これは犬橇を始めて感じたことでしょうか?

 もちろんそうですね。犬を飼ったことはあったけど、あんなに走りたがる犬を見たことがなかったから。爆走している犬って、本当に生き生きして、顔に喜びが満ち溢れてるんです。制御不能なあの感じは凄まじいですよ。塊になって走ることの相乗効果もあると思います。10頭で走ることで、エネルギーが爆発していく感じがします。

―― 翻って、人間の天分は何だろうと、自問していらっしゃる。答えは出ましたか?

 うーん。まだわからないですね。考えることがそうなのか……。何でしょうかねえ。

―― 以前、講演会でこんな質問が出ましたよね。角幡さんは個人的な旅をし、それを微に入り細をうがって書いているが、何の役に立つのかと。この問いに対しては?

 それには明確に答えが出ています。冒険なり登山なり漂泊なりが人類の進歩に寄与するかといえば、しません。社会の役に立つかといえば、立ちません。でも、僕の行動作品を欲する人はいる。それは批評になるからです。今の時代や社会の価値観にゆさぶりをかけることが、冒険や登山を表現することの唯一の意味だと思っています。
 そもそも人間が生きる喜びは、社会の役に立つとか、社会にとって意味があるという次元に回収されないところにあるんじゃないか、というのが僕の問いかけなんです。例えば就職活動に有利になるからとボランティアをしても、社会の役には立っても、深いところでその人の生き方にはつながらないですよね。外側の価値観に合わせるのではなく、自分の内なる価値観と行動が一致しない限り、真の幸せは訪れないだろうと思っています。僕の旅は、僕だけにしか意味がないからこそ、生きることそのものであるわけで、外側の価値観で生きていたら、永久に生きることをつかみ取ることはできません。そういうメッセージを、作品には込めているつもりです。

越えられない一線を
越えるために

―― 第三部の構想はいかがですか?

 いつになるかわかりませんが、近代的な行動原理ではなく、前近代のエスキモー的な行動原理で旅ができるように僕が変わったとき、第三部が書けると思います。エスキモー的な行動原理とは、簡単に言えば、帰りの食料を持たなくても狩りをしながら旅を続けられること。普通の近代人はそんな怖いことはできない。帰りの食料を担保した上でないと、どんな探検も登山もできないからこそ、ここには越えられない一線があると思っています。この一線を越えるには、犬橇や狩りの技術・経験に加え、土地への深い信頼が必要になります。

―― エスキモー的な行動原理で旅をした方はいらっしゃいますか? 例えば植村さんは?

 植村さんの犬橇技術はエスキモーから譲り受けたものだったけれど、行動原理はエスキモー的ではなかったというのが僕の考えです。言ってみれば一直線に突き進むスタイルで、30代でパワーがあったからできたんだと思いますが、イヌイットはそういう旅をしないんです。
 エスキモー的な旅は、土地の力をうまく使いながら進むんです。土地の条件をよく知っているから、犬橇で走りにくいルートに無理して行かないし、どこにどんな獲物が出るかを知っているから、食料を持たなくても帰ってこられる。そういう旅ができるようになったとき、僕の旅は一つの完成を見るはずです。そうした行動原理を書くことが、この三部作の着地点になると思っています。

『裸の大地 第二部 犬橇事始』刊行記念
写真展示 開催中


<第一会場>
朝日新聞東京本社2F
コンコースギャラリー


期間:
2023年7月4日(火)~ 8月4日(金)予定
10時~19時〈入場無料〉

住所:
東京都中央区築地5-3-2(都営大江戸線築地市場駅A2出口徒歩1分)

<第二会場>
集英社・神保町3丁目ビル


期間:
2023年7月10日(月)~ 8月4日(金)予定
※社屋内への入場、夜間来訪はご遠慮ください。

住所:
東京都千代田区神田神保町3-13(東京メトロ神保町駅A1出口徒歩1分)

2023年4月、角幡氏が続ける北極圏での探検に、大地をテーマに自然界を撮り続ける写真家・竹沢うるま氏が同行し、撮影した写真を展示中。
「1978年に米誌 NATIONAL GEOGRAPHIC の企画で写真家アイラ・ブロックが植村直己の北極点単独到達を飛行機で訪れ撮影した。今回、探検家の極地単独行に犬橇で同行し、密着した撮影を行った。大変まれで貴重だ。これまでにない写真表現と言えるだろう」――伊藤達生氏(元・日経ナショナル ジオグラフィック社長、早稲田大学探検部OB会)
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8月25日(金)19時30分よりジュンク堂書店池袋本店にて著者トークイベント開催!

詳細はコチラ:
https://gakugei.shueisha.co.jp/kikan/978-4-08-781731-7.html
裸の大地 第二部 犬橇事始
角幡 唯介
「耐えるだけじゃなく、面白みがあるからやめられない」北極狩猟漂泊行三部作『裸の大地 第二部 犬橇事始』角幡唯介インタビュー_5
2023年7月5日発売
2,530円(税込)
四六判/360ページ
ISBN:978-4-08-781731-7
一頭の犬と過酷な徒歩狩猟漂泊行にのぞんだとき、探検家の人生は一変し、新たな〈事態〉が立ち上がった(『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』)。百年前の狩人のように土地を信頼し、犬橇を操り、獲物をとりながらどこまでも自在に旅すること。そのための悪戦苦闘が始まる。橇がふっ飛んで来た初操縦の瞬間。あり得ない場所での雪崩。犬たちの暴走と政治闘争。そんな中、コロナ禍は極北の地も例外ではなく、意外な形で著者の前に立ちはだかるのだった。裸の大地を深く知り、人間性の始原に迫る旅は、さまざまな自然と世界の出来事にもまれ、それまでとは大きく異なる様相を見せていく……。

〈目次〉
泥沼のような日々
橇作り
犬たちの三国志
暴走をくりかえす犬、それを止められない私
海豹狩り
新先導犬ウヤガン
ヌッホア探検記
"チーム・ウヤミリック"の崩壊
*巻末付録 私の地図[更新版]
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