優生思想と差別意識

彼女の話を聞いてあらためて感じるのは、私たちの中にも優生思想、差別意識があるのかもしれないということ。絶えず内省し続けなければ、また同様の極悪事件が繰り返されるかもしれない。

「そうさせないためには、やっぱり障碍者と接することですよね。障碍者と関わるとき、絶対に支障って出るでしょ? 交わす言葉の中で感じ方が違うとか、やったことに対して何か言われてムカっとくるとかね。実際に関わってみないと分からないことって多いです。だから自分には差別意識がないなんて絶対に言えない。そこにまず気付くことのしんどさから逃げないこと。

今の社会は障碍者と出会うとしんどくなるから出会いたくない、という方向にいってると思うんです。実際の身体の接触や繋がりで障碍者と出会うと、無視できませんよね。空気を一緒に吸ってるんで。

その上で嫌やったとか、楽しかったとか、そこを捉えて、しっかりと自分と向き合っていく。そんなん今はもう流行らないかもしれんけど、なんでもええから、知り合って身近に感じることやと思います」

〈相模原障碍者施設殺傷事件から7年〉「障碍は不幸じゃない。自分の意志をも裏切る正直な反応が表現においては大事」金滿里さん「態変」主宰者_3

無痛社会、傷つきやすい時代などと呼ばれる現在。人と関わる過程で生じる摩擦や痛みを“ちゃんと”感じることの意義を滿里さんは問う。

「取材に対してもそうだけど、私は向き合う相手に対してなるべく言葉で突くのよね。だって、グサッとくる言葉を投げかけないと気が付かないもん。ちゃんと見ろよ、と。そのことによって初めて対話が生まれる。

そういうことから逃げない人を、私も選んでいるのかもしれません。だけどそこを踏みとどまって関わると、関係が変わるんですよ。やり過ごして不感症になって、何言われても『はいはい』って言ってる人も多い。だけど何かの拍子にぐっと掴んで、我がこととしてその言葉を受けとめたときに、生き方とかが次のフェーズにいきますよね。そうすると私も関係を変えようと思えて、ある意味尊重が生まれる。やっぱ、対等になりたい。常に、対等ってなんやろうっていうことを揺さぶりながら、相手との関係性を問い続けたい」