障碍を肯定すると価値観が転倒する

普通の感覚やったらそんなことは絶対に出来ないはず、と彼女は語る。

「きっと、そこにはもっと別の何かがある。自分の劣等感であったり、めっちゃ馬鹿にされてきたどうしようもない反発を正当化したいというエネルギーのほうがすごく強いのでしょう。

その暴力性を考えると、人間っていうものが瞬時に何をやらかすか分からなくなる。戦争になったら兵隊っていうのは同じような状況になる。あの犯人の主張っていうものは、優生思想じゃなく差別です。障碍者を自分よりも完全に下やと思っている。それも憐れみの対象として『やったってる』っていう意識。だから恐ろしい」

金滿里(きむ・まんり)。身体障碍者だけのパフォーマンスグループ「態変」主宰。3歳でポリオにかかり、最重度の身体障碍者になる。在日コリアン2世
滿里(きむ・まんり)。身体障碍者だけのパフォーマンスグループ「態変」主宰。3歳でポリオにかかり、最重度の身体障碍者になる。在日コリアン2世

事件当時、犯人は入所者一人一人に名前を呼びかけ、応答のない人を殺害していった。「意思疎通のとれない重度障碍者はいないほうがいい」というその主張は、ナチスドイツのT4作戦(1930年代後半から、精神障碍者や身体障碍者に対して行われた強制的な安楽死政策)を彷彿とさせる狂気性を帯びている。 

戦後も日本は優生思想を持ち続け、1948年に「優生保護法」を制定した。その後1998年には「母体保護法」と改定されてはいるが、国民の意識に刷り込まれた優生思想は、現代社会の極端な能力主義からも透けて見える。

「態変」が掲げる一貫したテーマである、『世界の人類史における優生思想の価値観を、根底から転倒させるほどの身障者の身体表現』――あらゆることが健常者の価値観とペースで動く社会の原理に、滿里さんは自らの身体表現をもって挑む。
 
「優生思想っていう言葉が使われて、あたかもそれ自体が思想のように思われているけれども、そのエッセンスっていうのは、例えば『二本の足で歩けること』とか、『コップを持って飲むときにこぼさずにスムーズに飲み込むこと』とかが当たり前で、結局はそれ以外を認めないことでしょ? 生きていく規範を健常者のペース、物の尺度で押し付けて来る。

五体満足、五臓六腑があって、それを自分の意志の通りに動かす。そういう感覚そのもので価値を図っていくこと自体が、それ以外のペースを封じ込めていく。これって差別やと思うんです。そうしたものを一括りにして、優秀な種は残さないといけないとか、そういうものに特化していくわけです。

『態変』では、逆に私ら障碍者の在り方とかを、あなたたち健常者は真似できないでしょ?という発想で見せる。その価値観を私らは現実的に持っていて、この身体を全然否定してない。そうすると価値観も転倒してくるんです。

生きてるってこと自体が存在の肯定です。誰でも自分の存在から始まるしかないじゃないですか。なにが否定から始まる? なにも始まらんやん。だから障碍そのものが不幸やとか、劣勢やとかいうのは、私たちからしたら外側の価値観なんですよ」