遺体が飛び散る通夜の惨事…獲物を取り返しに再び現れる
その晩、悲しみに包まれたA家にて通夜が行われた。
同時に、この惨劇を知った村民一同は、ヒグマに怯えていた。そこで女衆や子どもたちは、比較的家が広く、地理的にも安全と思われた近隣のD宅に避難していた。
そのため通夜に集まったのは、A家で養子として暮らしていたCの父であるa夫妻のほか、村の男衆、合計9人というわずかな人々であった。これには、もう一つの理由があった。
「クマは獲物があるうちは付近から離れない」
開拓民は小さい頃からそう聞かされていたからである。できればA家には近づきたくない、そう思い恐れる者がほとんどだった。
この教訓は間違っていなかった。通夜のさ中、驚愕の事態が参列者に襲いかかる。
午後8時頃、逃走していたヒグマが、再びA家へ侵入して来たのである。BとC、2人の遺体を安置していた部屋の壁を破っての乱入だった。
灯していたランプが消え、2人の遺体を納めた棺桶がひっくり返された。バラバラになった遺体が床に転がり散った。
暴れまくるヒグマに、男衆が近くにあった石油缶をガンガン打ち鳴らした。さらには空砲を撃つなどして反撃に出た。すると、間もなくしてヒグマは家の外へと逃げて行った。
幸い、この場で被害者は1人も出なかった。だが、この時もヒグマを仕留めることはできなかった。
避難所を襲った暴れグマ…約50分間続いた惨劇
その後、さらなる悲劇が発生する。
通夜を行っていたA家から北500メートルほどの地点に居を構えるD宅、女衆と子どもたちが避難していた家屋が惨劇の場となった。
この時、D宅には、合計10人(胎児を含めると11人)が身を潜めていた。
D(40歳)の妻E(34歳)、長男F(10歳)、次男G(8歳)、長女H(6歳)、三男I(3歳)、四男J(1歳)の6人、さらに妊婦のL(34歳)、その三男M(6歳)、四男N(3歳)、A家に寄宿していたO(59歳)の4人である。家主のDは急用で隣村に出かけていた。
ちなみに、妊婦のLとその子どもたちが本宅に避難したのは、夫であるK(42歳)が事件の通報をすべく苫前村役場や古丹別巡査駐在所に出向いたことによる。当初は、最も安全といわれた三毛別分教場に避難する予定だった。
不幸にも多くの人が集まっていた避難所にヒグマが侵入する。通夜会場であるA家からヒグマが逃げ出した直後、午後8時50分頃のことである。
「腹破らんでくれ!腹破らんでくれ!」
D宅では、妻のEが大鍋を炉にかけ、夜食の準備をしていた。その時だった。激しい音とともに窓を打ち破ってヒグマが家の中へと飛び込んで来た。突如侵入して来たヒグマは、およそ50分もの間、D家に避難していた人々を襲い続けた。
「腹破らんでくれ!腹破らんでくれ!」
「のどを食って、のどを食って殺してくれろ!」
土間の野菜置き場に身を隠していた身重のLが部屋の中央へとヒグマに引きずり出され、悲痛の叫びが周囲に響き渡った。
家屋内で暴れ続けるヒグマ、この事態をなんとかしようともがく女衆、子どもたちの狂乱と悲鳴がひしめき、避難所は瞬く間に地獄絵図と化した。
この晩、5人の尊い命が奪われた。Dの息子のI、避難していたLとその胎児、息子のM、Nである。Dの妻のEと息子J、Oの3人は重傷を負った。D家長女のHは失神して倒れたことが幸いし、奇跡的にも無傷だった。
落命した5人は、いずれもヒグマの食害に遭っていた。12月という時期から鑑みれば、ヒグマは冬ごもり前の飢えた状態であったものと推察されるが、真相は不明である。