新しい救済制度が始まったが……
「もう司法判断しかない」――戦後70年となる2015年、「区域外」の住民らは、広島県と広島市を相手取り、自分たちも「被爆者」に認めて手帳を交付するように求めて提訴。実質的には国に援護拡大を迫った裁判で、これが「『黒い雨』訴訟」だ。
最大88人が原告となった「『黒い雨』訴訟」では、黒い雨が降った範囲や内部被ばくの影響を争点に、審理が6年間続いた。その間に19人の原告が命を落とす中、2020年7月の広島地裁判決、2021年7月の広島高裁判決とも、原告全員を「被爆者」と認める全面勝訴が下された。
両判決は、従来の《線引き》を否定し、国に幅広い救済を迫るものだった。「小雨雨域」、そして「増田雨域」と「大瀧雨域」内にも雨が降った可能性を認め、原告全員が「原爆の放射能により健康被害が生ずる可能性がある事情の下に置かれていた」と判断したのだ。
高裁判決を受け入れた菅首相は、原告全員に手帳を交付し、「原告と同じような事情にあった人も救済する」と表明。2022年4月から新しい救済制度が始まったが、この制度にも問題があった。
新制度は、①広島の「黒い雨」に遭い、その状況が「黒い雨」訴訟の原告と同じような事情にあったこと ②障害を伴う一定の疾病にかかっていること――を被爆者認定の要件とした。3月末現在、県内では3634人に手帳が交付された一方で、159人が却下されている。
新たな分断が生まれている
ここで、却下された1人に数えられる河野さんの話に戻る。
過去に作成された3つの降雨図と、河野さんがいた地点を落とし込んだ以下の図を参照してほしい。
河野さんが雨を浴びた場所は、いずれの降雨域からも外れている。
申請を却下した広島市は、「黒い雨」訴訟の原告全員が3つの降雨域内にいたことを踏まえ、「原告と同じような事情にあった人を救済することになっている」と説明する。降雨域の中で雨に遭ったか否かを、当時の戸籍謄本を参照したり、証言を聞き取ったりして確認しているという。つまり、3つの降雨域が新たな《線引き》となっているのだ。
筆者には、既視感があった。
「黒い雨」訴訟の原告には、「分断された姉妹」がいた。詳しくは拙著の3章を参照して頂きたいが、三姉妹のうち、《線引き》の基準となった川の向こう側で雨を浴びた長女だけが被爆者に認められ、その対岸にいた次女と三女には手帳が交付されなかった。川を境に、家族や同級生、集落が分断されたケースがいくつもあった。河野さんが黒い雨を浴びた旧吉和村でも、ごく一部が援護対象区域とされ、大部分が除外された。新たな分断が生まれていると言えるだろう。
どれだけ救済対象を拡大しようと、《線引き》が続く限り根本的解決には至らない。境界線の外側に追いやられた被害者の切り捨ては続いてゆく。