講談「はだしのゲン」を語り続けて37年

(キャプ)神田香織。福島県いわき市出身。1981年、二代目神田山陽に入門。1989年に真打昇進。1986年、講談「はだしのゲン」公演で日本雑学大賞を受賞するなど、社会派講談の第一人者として知られる
(キャプ)神田香織。福島県いわき市出身。1981年、二代目神田山陽に入門。1989年に真打昇進。1986年、講談「はだしのゲン」公演で日本雑学大賞を受賞するなど、社会派講談の第一人者として知られる
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漫画「はだしのゲン」は、1945年8月6日にアメリカ軍が広島に落とした原子爆弾の被害について、作者の故・中沢啓治さんが自身の体験をモデルにして描いた作品だ。

講談師の神田香織は、1986年から37年間に渡って「はだしのゲン」を題材とした講談を語り続けて来た。被爆地である広島、長崎はもちろんのこと、全国の自治体や学校、NGO、市民団体など、リピーターを含めて依頼は数多く、公演の回数はのべ通算で1000回を超える。

「ゲン」を通じて戦争の悲惨さ、核兵器の恐ろしさを訴え続けてきた経験から、「子供たちの反応からも、平和教育の教材としてこれほど適したものはない」と断言する。被爆地である広島の教育委員会はなぜ今、これを排除するのか。彼女は大きな決意とともに声を上げる。

「タモリさんが、2023年は『新しい戦前』になるとおっしゃいましたが、私は今回のような動きを見て、日本はもう戦中にあると感じています。何の合理的な理由も示されていない中で中沢啓治さんという被爆者自身が描いた世界的な反戦反核作品が、お上によって一方的に消し去られていく。どんな詭弁を弄そうとも、これは広島の教育界が圧力に屈してしまったのではないでしょうか」

採用を審議する有識者会議において、ゲンが身重の母親のために路上で浪花節を唸って日銭を稼ぐシーンについて「浪曲は今の子どもに馴染みが薄く、理解が難しい」との意見が出されたというが、講談師の立場から、これを一蹴する。

「浪曲は日本三大話芸のひとつではないですか。教師がこれを教えることで子どもたちに伝統芸能を教えることにもつながる。さらに浪曲は、自粛に追い込まれた落語(戦時中「時局にそぐわない」とされた53の演目が禁演落語として「はなし塚」に埋葬された)と違って、戦意発揚のために菊池寛や吉川英治が新作台本を手掛けて『神風連』などの愛国浪曲が次々に生み出されたわけです。

ゲンが監視の厳しい町の中で堂々と浪曲を唸るのもそういう背景があるからだと教えることだってできます。現場の教師はゲンを入り口として、いろんな学びの機会を与えることができる。

その意味では、今回の決定は教育を受ける権利の侵害ではないかとさえ思えます。有識者会議の記事は私も読みましたが、こじつけにしかなっておらず、まず排除有りきであったことがわかります」