『ザ・クラウン』で描かれた悲恋の空軍大佐が生涯大切にした長崎の友人との関係。大佐の娘で女優のイザベル・タウゼンドさんにきく
2022年8月、今年も原子爆弾について考える日が近づいてきました。1945年8月6日は広島、8月9日は長崎に原子爆弾が投下された日。今年は、ロシアがウクライナへの侵攻で核兵器による威嚇を行ったことから、戦後80年近く経って、再び核使用の危機と脅威が世界中で大きな議題になっており、唯一の被爆国である日本からの発信がより注視される状況になっています。
とはいえ、原爆について親子で語り合うのに、どこを入り口にすればいいのかわからないと、若い世代から戸惑いを聞くことも少なくありません。そこで、ぜひ、お薦めしたいのが川瀬美香監督のドキュメンタリー『長崎の郵便配達』です。この映画は、フランス在住の女優、イザベル・タウンゼンドさんが、愛する父で、ジャーナリストだった亡きピーター・タウンゼンドが1984年に発行した一冊のノンフィクション小説『THE POSTMAN OF NAGASAKI』をガイドに、家族と共に長崎の夏を旅する姿を追ったものです。
ピーターさんによるこの本は、14歳の夏、郵便配達中に被爆し、背中に大やけどを負いながら生き延びた谷口稜曄(スミテル)さんにインタビューをしたもの。スミテルさんの被災した瞬間の体験と記憶、その後、助け出されてからの2年にわたる寝たきりの治療の様子、そして戦後、パートナーに恵まれ、家族を持つに至った歩みが丹念に書き記されています。スミテルさんは約60年にわたり被爆者運動をけん引し、ケロイドの傷を負った「赤い背中」の写真を掲げ、被爆の悲惨さを国内外で語り継いだ人です。
イザベルさんはこの映画にプロデューサーとして参加。同時に映画の被写体として、父親が取材した人たちや関係者に会って、父とスミテルさんの長きにわたる友情について聞き、旅に同行した二人の娘と共にあの日、長崎で何があったのかその歴史を学んでいきます。
もうひとつこの映画には、父親の人生と足跡に触れるという重要なテーマを扱っています。実はピーター・タウンゼンド氏は『ローマの休日』のグレゴリー・ペックのモデルではないかと長年囁かれてきた人物で、イギリスのマーガレット王女との悲恋の相手として知られています。イギリスのドラマ『ザ・クラウン』にも登場する主要人物なので、そちらのイメージが強い人には、イギリス空軍のヒーローだった人が王室との恋愛スキャンダルに巻き込まれた後、生涯をかけて、第二次世界大戦の検証をコツコツと思考していたという事実に驚くかもしれません。イザベルさんが語る父の歴史、スミテルさんとの記憶を伺いました。
●イザベル・タウンゼンド(Isabelle Townsend)
1961年フランスにて、ピーター・タウンゼンドの娘として生まれる。80年代、ブルース・ウェーバーやピーター・リンドバーグといった写真家のもとで世界的なモデルとして活躍した後、ラルフ・ローレンと5年間の専属契約を結ぶ。1991年にカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したジョエル&イーサン・コーエン監督作品『バートン・フィンク』で女優としてのキャリアをスタート。2002年、長女の誕生後、フランスの学校で英語によるインタラクティブな演劇プロジェクトを立ち上げ、ワークショップや演劇の演出を通じて若者たちと舞台芸術への情熱を分かち合う活動がライフワークとなる。現在は、夫と2人の娘とパリ近郊に在住。
谷口稜曄さんの背中の傷痕を見た瞬間から、
広島と長崎で起きたことを想像する、出発点になった
──ドキュメンタリー映画『長崎の郵便配達』はイザベルさんの父親のピーター・タウンゼンドさんがなぜ、長崎原爆に強い関心を寄せたのか、娘であるイザベルさんが川瀬美香監督と共に探っていく内容になっています。同時に、14歳で勤務中に被爆し、その後、背中に酷い傷を負いながらも生き延びて、その背中の傷痕を通して、被爆体験を語り、核兵器廃絶運動に生涯を捧げた谷口稜曄(スミテル)さんの勇気ある人生を追ったものにもなっています。
「わたしたちのドキュメンタリーを見て、谷口さんの行動を勇気あることと言ってくれてうれしいです。そして、そのことは必要なことだったんだなと思います。まず、私の父であるピーター・タウンゼンドはスミテルさんのことを本当に崇拝していて、事あるごとに素晴らしい人だ、勇気がある人だと語っていました。それは、彼が原爆の犠牲者として終わっていない、被爆した体験を反転させる形で核廃絶の運動に対してポジティブな方へと転じていった。その勇気を本当に敬服すると父はずっと考えていたと思います」
──イザベルさんは子供時代、フランスのテレビ局の取材に応じた谷口さんにお父様を通して出会い、その際、谷口さんの背中の傷を見たことを映画の中で語られています。子供たちに傷を見せてくれるようにお願いしたお父様も、その傷を見せた谷口さんも勇気ある行動だと思いますが、その時に感じたことなど、エピソードをさらにお聞かせください。
「フランスのテレビ局のインタビューは、おそらく父が谷口さんを招聘したのだと思います。スタジオでの番組収録後、私が覚えているのは、父親がカメラの廻っていないバックヤードに私たちを呼んでスミテルさんに、『あなたの背中を私の3人の子供たちに見せてもらえませんか』とお願いしたんです。スミテルさんの同意をとって、背中を見せてくださったんですけど、まだ幼いわたしはすごく衝撃を受けました。
その時に見たものというのは、火傷の痕で、それは羊の皮で出来た紙みたいに皮膚がよじれた状態で、父から『被爆するとこういう風になるんだよ』と聞かされました。まだ子どもでしたので、被爆するという状況がよく想像できませんでしたが、スミテルさんの背中が物語るものが原爆の脅威、戦争の脅威なんだと理解しました。父は会話でなく、直接、火傷の痕を見せるというインパクトの強い形で伝えようとしたんじゃないでしょうか。
あの体験を通して、それまで想像もしたことがなかった原爆について、あの瞬間から多くのことを想像するようになりました。と同時に、1945年8月6日、8月9日にどういうことが広島と長崎で起きたのか、その日の出来事を想像する私の人生の出発点にもなりました」