変わらないのは「生活をよりよくするための教科」であること

——こうして技術・家庭科の変遷をみていくと、学校教育は政治や経済の都合に合わせて変化させられてしまうのだと感じます。その点はどう捉えていますか?

技術・家庭科は、国の産業振興とまともに連動しています。さらにいうと、学校教育自体が、国の政策の一環として「次の社会の担い手となる人材にどんな力や資質をつけるべきか」「どんな価値観をもつ人材を社会に輩出していくべきか」という観点から考えられています。

よって、学校教育が政治や経済に影響を受けているのは、ある意味「必然」でしょう。しかし、国家の意図する人材育成に何も考えずに乗っかっていくのがよいのかといえば、ちょっと立ち止まって考えてみる必要があると思います。

なぜなら、かつての性別役割分業を前提とした「男子向き」「女子向き」の技術・家庭科も、今だからその「おかしさ」を感じることができるのですが、当時は、それを「当たり前」だとみなしてきた社会の世論があったのでしょう。もちろん、異論を唱えた人々もいたはずですが、大きな反対の声を上げて制度を変えるまでには時間がかかりました。

だからこそ私たち市民は、政治がどちらの方向を向いているのか注意深く見極め、なぜこうした教科や学習内容があるのかを知っておく必要があると思います。

それでも以前から変わらないのは、家庭科が「生活をよりよくする教科である」というテーマを掲げていることです。授業内容を時代に伴って変化させながらも、その時代に沿った「よりよい暮らしとは何か」を生徒とともに考えてきました。

現代の家庭科では、人生100年時代を見渡して自分を生かし、家庭を維持・管理していくために必要なことを教えています。家事や育児をすることと収入を得るために働くことはワンセットで、生きる上でどちらも大切なことであり、男女どちらかに固定される役割ではありません。そもそも多様性を考えるなら「男女」という性別を二分して考えるような感覚も、見直すべきでしょう。

今後の技術・家庭科(中学校)や家庭科(小学校、高校)も、時代の要請を受けて柔軟に変化していくはずです。


※参考文献:
朴木佳緒留・鈴木敏子共著『資料からみる戦後家庭科の歩み―これからの家庭科を考えるために』(学術図書出版社、1990年)
家庭科の男女共修をすすめる会・編『家庭科、男も女も―こうして拓いた共修への道』(ドメス出版、1997年)
日本家庭科教育学会編『家庭科教育50年―新たなる軌跡に向けて』(建帛社、2000年)
堀内かおる『家庭科教育を学ぶ人のために』(世界思想社、2013年)

#2「技術・家庭科が男女共通になって30年。それでも女性的イメージが付きまとう理由と「男性家庭科教師」が担う大きな役割」はこちらから