「外国語」や「プログラミング」教育よりも大切なもの

現代は、グローバリゼーションの中で国際競争が激しくなる一方で、多文化共生を目指さなければならなくなっています。

その中では、非常に高い国語力が求められます。昔は「明るく元気な子」を育てれば良かったのが、現在は保育園の時代から「AIに負けないグローバル人材」の育成が目指されているのが良い例でしょう。

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しかし、今の子供の国語力はそれに追いついているでしょうか。

子供というのは自由な遊びの中で感性や想像力を育み、語彙を増やし、抽象的な概念を把握できるようになったり、物事の因果関係を適切に考えらえるようになったりします。心理学用語で「心的辞書(メンタル・レキシコン)」と呼ばれるものを身につけるのです。これが国語力に大きな影響を及ぼします。

しかし現代の社会には、むしろ子供たちの国語力の成長を阻害する要素が地雷のように散らばっています。家庭では親が多忙になって「スマホ育児」が進んだり、自由な遊びや他者との交流が限られたりすることで、なかなか情緒力や想像力を育めません。親が心を病んで子供と会話さえままならないという家庭も少なくない。

学校も同じです。今の学校では外国語にプログラミングにキャリア教育と新しい教育を次々と教え、管理主義を徹底することに追われています。目に見える成果が出るものばかりを追い求め、感性や思いやりを育む教育を行う余裕はありません。

ネットの影響も甚大です。国語力が養われていない状態で、子供たちはSNSの短文テキストコミュニケーションや、言語がほとんど存在しないゲームに没頭する。しかも、そこで飛び交う言葉の多くは、生きていく力としての国語力に求められる言葉とはかけ離れたものです。

私は外国語やプログラミングを全否定しているわけではありません。それらが意味のあるものになるには、国語力というベースが必要だということを指摘したいのです。