若い頃の自分に「おもんない人間」と思われたくない

ここまで少しロジカルに話しましたが、実はもっとシンプルに直感的にFIREを目指さない理由があります。それは、面白い人間でありたいと思う自分のゴールと離れると思っているからです。

僕は関西人なので、おもろい人間が好きです。

これは笑いのセンスという意味だけではなく、興味深い人間や生き様のカッコいい人間も含みます。そして経験上、おもろい人はおもろい人とつるんでいます。だから、自分がおもろい人と思う人と意見交換をするためには、向こうから面白いと思ってもらえる人生でなければいけないと思っています。

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お金だけでは絶対に買えないもの「時間」

そう考えると、どうしてもFIREは除外されます。別にFIREをする人を否定するつもりは1ミリもありません。その人の価値観で幸福を感じていればいいのですから、僕もネット上でつまらない人生と見知らぬ人に言われても、あまり気にしません。

それより、尊敬する人や面白いと思う人につまらないと思われる方がよほど辛いです。もっというと、20代の自分が今の自分を見て「けったいやけど、おもろいやつやな」と思ってほしいです。
(※けったい:関西弁で「変わった」や「変」という意味)

FIREの話をしている人を僕があまり面白いと思えない以上、方向が違うのだと思います。僕にとって誰と人生の時間を共にするかは人生の重要な要素です。どれだけお金があっても、付き合う人は選べません。お金で人は集まるかもしれませんが、自分が望む人ではないかもしれません。

残念なことに(そして幸運にも)僕が面白いと思う人たちは、人を資産額で評価する人ではありません。僕が面白いと思う人は常に脳に汗をかき、頑張っているからこそ、自分もまたその道しかないのだと思います。