「友だちをつくる」手段としてサッカーを始めた

そんなラヴィが「サッカー」に出会ったのは、両親の仕事の都合でアメリカに移住した9歳の時。近所に住んでいた同じ年頃のイスラエル人の子どもがサッカーをしていたからだ。

「サッカーは僕にとって友だちを作るツールだった」。9歳でアメリカに移住してからボールを蹴り始めたJリーグ初のイスラエル人選手、ネタ・ラヴィの日本での挑戦_2
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「イスラエルではサッカーが一番の人気スポーツです。2番目に人気のバスケットボールに大きな差をつけて圧倒的に人気です。それもあって、イスラエルに住んでいた時からボールを蹴って遊ぶことは多かったですが、サッカーとより深く関わりを持つようになったのは、9歳でアメリカに移住してからです。近所に住むイスラエル人の友だちができて、その彼がサッカーをしていたことからサッカーを学び、英語も学びました。

もっとも当時の僕にとってサッカーは友だちをつくる、親睦を深めるためのツールで、あくまで遊び感覚でした。なので自分では、特別サッカーが巧かったとは思っていません。時々、なんとなく他の子より巧くプレーできているなと感じることはありましたが、それがどのくらいのレベルで、評価に値するものなのかも全くわかりませんでした」

ラヴィが「サッカー選手になりたい」と思い始めたのは、13歳のときにイスラエルに戻ってから。故郷はイスラエル北部にあり、その北部最大の都市・ハイファが、「マッカビ・ハイファ」のホームタウンだったことから同チームのジュニアユースチームのテストを受け、合格する。

「マッカビ・ハイファで初めて経験する緻密な練習によって、自分にはまだまだ伸び代があると感じ始め、プロになりたいという意識も芽生えました。そのことは僕にプロサッカー選手になるには何が必要で、何を排除しなければいけないのかを教えてくれました。正直、当時はまだ自分が本当にプロになれるのかはわからなかったし、なれると確信するような決定的な要素もありませんでしたが、謙虚にハードワークを続けることには意識的に取り組みました」