プロ入り当初の給料は大卒の初任給ほど
――2015年の現役引退後、指導者などでサッカー界にかかわっていく選択肢はなかったのですか?
それはありませんでしたね。引退後は、現場レベル、ピッチレベルでサッカー界に貢献するよりも、Jリーグだけではなく、サッカー界やスポーツ界の課題を解決できれば、と考えていました。
僕は2004年から2012年までの9年間、日本プロサッカー選手会の副会長をつとめさせていただいたんですが、その間は年々、アスリートのセカンドキャリアについての話題が増え、自然と自分の「サッカー後」について考えるようになったんです。特にヒデさん(中田英寿)にはものすごく大きな影響を受けました。
――どんな影響ですか?
ヒデさんは日本代表の中心選手だった時代に、簿記や税理士などの勉強をして資格を取得していたことを知ったんです。
その頃、僕はただのサッカー少年でした。いつか日本代表になってワールドカップに出る。それが、人生のすべてだと信じて疑いもしていなかった。当然、サッカー後の人生なんて想像もしていない。でも中田英寿というトッププレーヤーがサッカーとは違う世界を見ている――それがただただ衝撃でした。
サッカー以外の世界で勝負したいという話ではなく、世の中はサッカーだけではないという当たり前の事実に気づかされたんです。
――中田さんはプレー以外の面でも選手に影響を与えていたんですね。
そうですね。それともうひとつ、プロになったとたんに理想と現実のギャップを突き付けられたことも大きいです。現在、JリーグにはA、B、Cと3つの段階の選手契約があります。新卒選手は基本的にC契約でスタートする。B契約とC契約の年俸は480万円と決められています。
C契約の選手は、J1リーグで450分……つまり5試合以上、J2リーグだと900分以上試合に出場して、やっと年俸の上限がないA契約を結ぶ権利を得られる。
高卒でプロになった僕もC契約からスタートしました。最初は年俸480万円に満たない契約で、詳しくは話せませんが、月にすれば、大卒の初任給ほど。正直、「俺はこれだけサッカーをがんばって、プロ選手になったのに……」とショックでした。
それでも大学に進んだ同級生たちは、僕をプロという目で見るでしょう。同級生とたまに遊んで、食事を1回ごちそうしたら、それでお金がなくなってしまうような生活でした。