年をとるごとに変化していくリアリティ

ヨディの日常は、部屋の中を中心に展開される。
そうこの男、「無職」なのだ。
本来世間とは懸隔している世界の人間なのだが、コロナ禍の巣ごもり生活を経験した我々にとっては、空虚で怠惰な日常もどこか共感できる部分がある。

特徴的なのは、ストーリーの中で突如差し込まれる脈絡のないインサートカットの数々。
まるで脳内記憶を編集したかような映像表現で、画の輪郭が段々とぼやけていく。
これが「ストーリーが追いにくい」といった感想が散見される要因になっているのだが、特別難しい伏線がある訳ではなく、この映画の訴える「同時性」を示唆した演出なのだと受け取ると、スムーズに感情移入できた。

表面上は主人公であるヨディを中心に進行している物語だが、ヨディと関わりを持つ人間についてもまた、孤独を抱えながら同じ時間が並行して流れているのだ。

スーに恋心を抱いた警察官のタイド(アンディ・ラウ)は、雨に濡れるスーにタクシー代を渡したり身の上話を聞いて近付こうとするが、スーはヨディのことで頭がいっぱい。
優しいだけの男よりどうしようもない男の方がモテるのは、いつの時代も変わらない“あるある”なのだと、ここでも共感してしまった。

構成や美術のファンタジーさとは裏腹に、ドキュメンタリーを見ているようなリアリティに惹きつけられる本作。

公開当時、ウォン・カーウァイ監督はラストシーンについてインタビューでこう答えたそうだ。
「中国には“桃の花は毎年いつも同じだが、花を見る人は毎年違う”という、時間についてのことわざがあります」

この映画に覚えたリアリティもまた、自分がこれから年を重ねるにつれて変わってゆくのかも知れない、と感じた。

文/桂枝之進

『欲望の翼』(1990) 阿飛正傅 上映時間:1時間40分/香港

「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。この1分を忘れない。君とは“1分の友達”だ。」。ヨディ(レスリー・チャン)はサッカー場の売り子スー(マギー・チャン)にそう話しかける。ふたりは恋仲となるも、ある日ヨディはスーのもとを去る。彼は実の母親を知らず、そのことが心に影を落としていた。ナイトクラブのダンサー、ミミ(カリーナ・ラウ)と一夜を過ごすヨディ。部屋を出たミミはヨディの親友サブ(ジャッキー・チュン)と出くわし、サブはひと目で彼女に恋をする。スーはヨディのことが忘れられず夜ごと彼の部屋へと足を向け、夜間巡回中の警官タイド(アンディ・ラウ)はそんな彼女に想いを寄せる。60年代の香港を舞台に、ヨディを中心に交錯する若者たちのそれぞれの運命と恋を描く。ウォン・カーウァイの監督2作目。