死んだはずの…
松永の自殺という“噓”に衝撃を受けた緒方は、その日の仕事を終えてから、自分をホステスとして雇ってくれたスナック「ツバキ」のママに手紙を残すと、夜間であるためタクシーに乗って小倉を目指した。
湯布院町から北九州市へは、久留米市から北九州市へと向かうのと同じく、約百キロメートルの距離を二時間近くかけての移動だった。なお、緒方のタクシー代金約二万五千円は、片野マンションの前に迎えに出た孝さんが支払っている。
緒方家からの連絡を受けた松永は、すぐに孝さんと和美さん、智恵子さんを片野マンションに呼び寄せ、一芝居を打たせた。判決文で語られる内容は以下の通りだ。
〈同月(4月)15日早朝、(緒方は)湯布院からタクシーで片野マンションに戻った。孝、和美及び智恵子が南側和室におり、松永の写真、遺書等を置き、線香を焚いていた。
緒方が、孝に促されて松永の遺書を読んだところ、松永が、隠れていた押入から飛び出して、緒方を殴り付け、押し倒して馬乗りになり、孝、和美及び智恵子も緒方の足を押さえるなどし、緒方に対し、殴る蹴るの暴行を加えた〉
つまり、緒方が祭壇の用意された部屋に入って座ったところで、自殺したはずの松永が、いきなり押入れの戸を開けて飛びかかってきたということだ。
それはもはやホラー映画も顔負けの演出である。一方で、この状況を緒方はどのように語っているのだろうか。前記公判の緒方弁護団による弁論要旨は次のように触れる。
〈緒方は、松永や両親らに騙されて小倉へ帰った。そうすると、押入れに隠れていた松永が飛び出してきて、緒方を全裸にし、緒方の家族とともに、激しい暴行を浴びせた。このとき、緒方は、「松永の腹立ちは当然のことだろう」「たたきまわされながら、松永が死んでなくてよかったと思った」と感じたという。
その後、連日のように、松永から暴行を受け、湯布院での行動をこと細かく聞きだされながら、陰部を含むあらゆる部分への通電を受け、両足の小指と薬指の爪を自分でラジオペンチではがすよう強制された。
緒方は、「ひどい暴力と通電を受けてゆく中で、私が悪かったという思いをだんだん強くさせられていった」のである〉