人に言われて初めて気づいた
「小説の登場人物がよく歩いている」ワケ
――最後にお聞きしたいんですが、又吉さんのエッセイは散歩してる場面が多いですよね。又吉さんにとって散歩はどういう意味を持つ行為なんでしょうか。
それ、僕もあまりわからなくて。『火花』を書いたときも『劇場』を書いたときも「登場人物が歩いてる場面が多い」って言われたんですよ。
たとえば作中で人物が何かに気づいたり思い出したりするのが、人によって風呂だったり会話の中だったりコーヒー飲んでるときだったりすると思うんですけど、僕は歩いてるときなんですよね。
「このことに気づく必然性があるシチュエーションは散歩やろ。歩いてるときに思いつくはずや」と思って書いてたら「なんでこんな歩いてんの?」って言われて「そうなんや」って(笑)。みんなそんな歩かないんだ、って。
それは多分、僕自身が歩いてるときにいろんなこと考えるからなんですよね。『月と散文』の中にも書いたんですけど、家が関西でいう文化住宅ですごい狭くてどこにおっても家族がいたから、外に自分の時間とか自分の孤独を求めてたんです(「家で飼えない孤独」)。
一人で走ったり歩いたり、公園にずっといたりして。そういう時間にその日1日あったこととかいろんなことを考えてたから、その名残がいまだにある。
エッセイにもそれが出てるとは思ってなかったですけど、たしかにあるかもしれないです。
――無意識だったんですね。『東京百景』を読んだときに「よく歩く人だな」と思っていて、今作でも同じ感想を抱きました。
若い頃と比べたら減りましたけど、散歩、好きですね。
人としゃべってると影響を受けて新しい意見がいっぱい出てくるときってあるじゃないですか。あの感じが散歩にもあるんですよね。
自分の目の前を通っていった人を見たり、看板が目に入ったり、聞こえてきた音だったり、知らない道を通ったときになんか寂しくなったり怖くなったり、そういうふうにカウンターで出てくる感情や考えがあって、それをもらいに行ってるところもあります。
自分の考えや意見をまとめに行くのもあるけど、そっちも結構多いですね。書くことないときもとりあえず歩いてたらなんかしら思いつくやろ、って。
――収録されている「散歩」はまさにそういう内容でしたね。タイトルからしてそのものずばりです。
あれ、歩いてるときに思ったこと書いてるだけですもんね。でもあの散歩はなんか良くて、気持ちいい散歩でした。でも、散歩好きって結構いろんなところで言ってるんですけど、それについての仕事が来たことは一回もないですね(笑)。
取材・文/斎藤岬 写真/松木宏祐
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『月と散文』
又吉直樹