#1 無頼派芸人・金属バットが初めて本音で語った…『M-1』ラストイヤー決起集会【ノーカット掲載】
#2 『M-1』ラストイヤー・金属バットが見据えるM-1とその先。「やっぱ、ちゃんと決勝行かな、変わらんすよ」【ノーカット掲載】
#3 《M-1敗退後、最速インタビュー》金属バットにとってM-1グランプリとは何だったのか? 「僕らずっと、人気ない、影の方の芸人やって…」【ノーカット掲載】
#5 《金属バットの15年》「『M-1だけじゃないぞ』って、なんや眠たいこと言いやがって」それでも日常は続いていく…【ノーカット掲載】
高校時代の金属バットは…
――お二人はどんな高校生だったんですか?
友保 俺らでも、あれですよ、工業高校だったんで、ほんまに模範囚みたいな。ええ。みんな静かに、鉄板を切って、ええ。
――建築科ですか?
友保 建築は賢いんすよ。
小林 建築はもう、天才です。
友保 俺らは、あの、メッキとか作る、金属科かなんか言うたんやな、昔は。
小林 もともとそう、今は材料システム科っていう、
友保 金属科っちゅう名前が悪いから、材料システム科になった。横文字入れて。まぁ一番アホやったんですけどそれが。やっぱアホんとこの先生は一番怖い先生がきて。ほんまに、
一筆書きのヤクザみたいな人で、なぁ。
小林 あれは、きれいなヤクザやった。
友保 うん。きれいなヤクザ。警察落ちたから先生やってんねん、ていう。ほんまにおもろいぐらいでかいRayBanのグラサンかけて(笑)
小林 (笑)えぐいすよね、剣道部顧問ね。
――お二人は何部だったんですか?
小林 ぼくバスケ部です。
友保 わし陸上部。
――面白いもんですね、それで、コンビ組むって、
友保 うん、ねぇ。もうしょうがないっすよ、堺やから。