社会に蔓延する「怒り」を正当化する人びと
日本にいたときは「当たり前」だと思っていたことが、マレーシアに来てそうでないと気がつくことがあります。
日本に一時帰国するたびに、街で怒っている人を見かけます。
反対に、マレーシアに来てから十年、実はまだ街で怒りを爆発させている人を見たことがありません。道や駅などで誰かの怒声を聞くことも、クレームをつけられている店員さんを目にすることもほとんどないのです。
最近マレーシアに越してきた友人も、「ここには不機嫌な大人が少ないですね」と話します。
マレーシアではよく「人前で他人を怒ってはいけない」と言われます。宗教の影響もあるでしょうが、人前で怒りを表すと「感情のコントロールができない人」と見なされます。怒りによって人を動かそうとすると自分が損をするのです。
似たものに、「叱られるのが当たり前の文化」があります。
日本のカスタマーサービスで働いていたとき、「怒りまくるお客さん」にたびたび遭遇しました。
怒りまくる顔ぶれは毎回同じで、「言葉遣いがなっていない」「説明の順番が間違っている」などと文句をつけます。
この人たちがなぜ怒っているのか。
その理由を聞くと、決して変な人たちではないのです。サービスが自分の求める「ちゃんとした基準」に達していないことに怒り、そのミスを指摘して訂正して教育してあげなければ、という正義感に発していることが多いです。あくまで善意から出ているコミュニケーションの一種なのです。
だんだん名前が知られてきて、「またこの人か」となってくると、スタッフも面倒を避けようと受け答えが冷たくなっていきます。誰も電話を取りたがらないので、「話を聞いてもらえない」ことが余計彼らをイラつかせてしまうのかもしれません。