米飯(べいはん)の思い出
「わかめごはん」が出てきて、あっ、と思い出したことがあった。私の記憶にある給食のごはんはお茶碗盛りではなかったのだ。
私の通っていた静岡県静岡市の小学校は当時、生徒数が1800人を超えるマンモス校。給食は、給食センターから運ばれてきていた。ごはんの日は献立表に"米飯(べいはん)"と表記され、1人分ずつがアルミパックに入れられていた。それがどうやら静岡県だけの文化だったことが、上京後に周囲の人間と話してわかったのだ。
ご飯がアルミパック容器に入っていた理由について、静岡市の給食課および、静岡県学校給食会、浜松市教育委員会に問い合わせてみた。すると、誕生秘話など、面白いエピソードが聞けた。
静岡では昭和51年から米飯給食の導入が始まった。しかしパン協会の理事は、米飯導入によりパン屋の仕事が減ることを危惧する。そんな折、パン協会の理事が行った先のハワイで、アルミパック入りのグラタンがパン窯で作られているのを目撃。「パン屋でも米飯が炊けるのでは!?」と思いついたことをきっかけに、米を1人分ずつアルミパックに入れ、パン屋がパン窯で炊くことになったという。
静岡県で育った児童の思い出の米飯には、こんな逸話が隠れていたのだ。
アルミパック米飯は、静岡県では現在も幾つかの市で提供されている。配食しやすく異物混入なども起きにくいというメリットがあるが、メーカーの廃業や機械の老朽化、生徒ごとに分量を調整したいなどの事情から、今後は徐々に教室で食器に盛る形式に変わっていくそうだ。
このアルミパックの米飯には白米だけでなく、前述のわかめごはんやコーンごはん、さくらごはんなどのバリエーションがあり、私はパンの献立より断然楽しみにしていた。