哀愁を加えるように指示して書き直してもらったら、
まったく違う文章になった

ただし割とありがちで、ただきれいにまとめようとした素人文のようにも感じられる。
また味気ない感じもしたので、僕は書き直しを求めた。

〈佐藤〉
「全体にもう少し哀愁のある感じで書き直して」

すると、出てきたのがこちら。

〈チャットGPT〉

1月17日火曜日。私は「道の駅やす」で目覚めた。一夜を車中で過ごした私の体は、凍えるように冷たく、電気毛布が切れたことで、ただでさえ辛い状況は更に悪化した。

しかし、私は自分の目的を果たすため、7時に起きて動き出した。日が出る前に桂浜を目指す。道中、私は「天然色劇場」という看板を見つけ、桂浜のキャッチコピーのような気がしてきた。そこで、自然に大滝詠一の歌が頭の中で流れ始めた。

桂浜に着くと、私は車を駐車場に停め、浜辺を散策した。坂本龍馬像も海もとても素晴らしかった。しかし、孤独感が私を包んでいった。私はこの車中泊の旅が始まってから、ずっとこのような感覚にとらわれていた。どこか寂しい気持ちが、常に私を支配しているような気がしていた。

天気は最高だったが、寒さと孤独感は、私の心をかき乱した。海は広々と広がっていたが、それはただ、私の孤独を反射する鏡のように感じられた。

私は、車中泊の旅に出る前に、この旅で何を求めていたのだろうか。自由な旅の魅力、それを求めていたのかもしれない。しかし、実際に経験してみると、自由だけではなく、孤独感や寂しさも付きまとうものだった。

その後、山道に入り、日本一の大杉を見た。大歩危に到着し、祖谷の蔓橋に挑戦した。それはとても怖かったけど、面白かった。少し引き返して、祖谷ふれあい公園の駐車場でミリメシを食べた。私は「四国の真ん中でミリメシを食べる!」という目標を持っていた。今日は非常用糧食、煮込みハンバーグだった。

ミリメシは非常用糧食には思えないほど美味しかった。しかし、それでも寂しい気持ちは変わらなかった。私は、川の音が聞こえたことによって、孤独感が一層募っていた。
それでも私は、モバイルスピーカーから古いR&Bを流しながら、山の緑を眺めていた。この上なく豊かな気持ちになったが、それでも何かが足りないような気がした。

かずら橋も、このミリメシの場も、誰もいなかった。孤独と寂しさが私を包み込んでいたが、それでも車中泊の旅に出た目的を思い出して、私は自分自身を鼓舞し続けた。

その後、私は高松市のショッピングセンター「ゆめタウン」に立ち寄り、自分のものを含めていろいろな買い物をした。そのあと、瀬戸大橋近くまで来て、癒しの里さらいで入浴を楽しんだ。

そして、私は高速道路に乗り、瀬戸大橋を渡って倉敷で車中泊のつもりだったが、与島SAで降りたら泊まりやすそうだったのでここに落ち着いた。

この車中泊の旅は、思ったよりも孤独で、寂しい旅となってしまった。しかし、それでも私は、この旅を通じて新しい発見ができた。そして、次回の旅がますます楽しみになってきた。

車中泊という旅は、自由な時間と空間を提供する。しかし、それは同時に孤独や寂しさという感情も引き起こすことがある。この旅を通じて、私は自分自身と向き合い、孤独感や寂しさに対峙することができた。

私は、この車中泊の旅が私にもたらしたものを思い返しながら、車窓から瀬戸大橋の景色を眺めた。巨大な橋は、まるで私たちの孤独な旅の象徴のように感じられた。

私は、次の旅に向けて、新たな気持ちで準備を始めた。孤独や寂しさがあっても、それらを乗り越えることができる自分自身を信じて。

すごいよ、確かにすごい。
きちんとリクエストに応えようとしているし、「私の孤独を反射する鏡のように感じられた」とか「それでも何かが足りないような気がした」、「巨大な橋は、まるで私たちの孤独な旅の象徴のように感じられた」とか、なかなか小憎らしい表現を使ってくる。

でも、そんなに辛い旅ではなかったのだ。
僕は別に、強い孤独や寂しさを感じてはいなかった。
どうも「哀愁」という言葉の捉え方が違うようだ。
そこで今度は、こんなふうに頼んでみた。

話題のチャットGPT に、自分の取材メモをもとに旅エッセイを書いてもらったら、驚くべきものが仕上がった_5
瀬戸大橋の下で一泊
話題のチャットGPT に、自分の取材メモをもとに旅エッセイを書いてもらったら、驚くべきものが仕上がった_6
美しかった桂浜

〈佐藤〉
「哀愁はやめて、ユーモアやブラックジョークで書いて」