出世の地か、幼少期と晩年を過ごした地か
前述の通り、家康は駿府と遠江のどちらにも長く暮らした歴史があるのだが、では一体どちらが家康ゆかりの市により相応しいのか。集英社オンライン編集部ニュース班は静岡市と浜松市について、「より、ゆかりが深いのはどっち?」「都市として魅力的なのはどっち?」といった内容で、静岡県民100人にアンケートを試みた。
実施場所は、静岡県牧之原市と御前崎市の市境に流れる筬川(おさがわ)にかかる郡界橋。静岡市と浜松市のちょうど真ん中に位置していることから、この場所を選んだ。牧之原市は静岡側にあり、車は静岡ナンバーで、御前崎市は浜松側で浜松ナンバー。牧之原市の人間は静岡の方に、御前崎市の人間は浜松の方に、それぞれなじみ深いという地域性が今でも残っているという。
郡界橋の近くに住む90歳男性が、昔の様子を語ってくれた。
「ここは江戸時代、相良藩と横須賀藩(ともに遠江にあった藩)の境目でもあって、昔から付き合いの薄かった地域なんですよ。私が子供の頃も、筬川を挟んで仲が悪いというわけではないが、それぞれ川向こうの地域には行かないという雰囲気があった。子供たちも川を越えては遊びにいかず、それどころか川を挟んで石を投げ合って戦っていたくらいです」
まるで、静岡市と浜松市の代理戦争のようだが、平成期には隣接する地域同士の親睦を深めようと、綱引き合戦が行われていたという。
「市として公式な記録は残っておりませんが、旧榛原郡(牧之原市側)と旧小笠郡(御前崎市側)で綱引き大会をやっていたという話は聞いています。勝った方の郡が1年間、郡界橋の所有権を得るとしていたようです。もちろん法的な登記上の話ではなく、あくまで催し事の上の話です。(平成17年までの)市町村合併で郡制がなくなったことで、綱引き大会も終了したようです」(御前崎市・社会教育課)
当時の地元新聞の記事によれば、綱引き大会は1998年からスタートし、小学生、中学生、一般男子、女子、選抜の5部門に分かれ、両地域合わせて500人ほどが集まっていたという。
話がそれてしまったが、次ページにて、いよいよアンケート結果の発表だ。家康ゆかりの地はどっち⁉