――自分で自分のことを罵倒していた!?
河野 例えばこんな感じです。
「栗城史多の知名度に便乗して利益を得ようとするサイテー男」
「人の秘密を暴き立てるマスゴミ」
「彼が死んだとたん、舌なめずりしながら現れたハイエナ」
――ある面ではそうなのかもしれませんが……。
河野 この本が発表されたら、おそらく傾聴すべき批評だけではなくて、僕に対しての批判や中傷が執拗に届く可能性もあるだろうと予想していました。
もしそうなったら、そしてその状況に僕の心が折れてしまったら、家族など近しい人にも影響を及ぼしてしまいます。だから、やがて受ける可能性が高いこういった批判に、徐々に自分自身を慣らしながら原稿を書きました。
ただ一方で、それによって委縮して無難な内容になってしまうのは避けたかったので、筆は緩めないようにしながらも、自分の覚悟を徐々に固めていきながら書いたという感じですね。ノンフィクションを書くということは、それだけ取材対象などを傷つける暴力的な行為だということは常に意識していました。
――開高健ノンフィクション賞の最終選考会講評には、“自身もテレビ番組で栗城さんを取り上げ、彼の「劇場」に加担していたことの反省をもっと書いて欲しかった“という趣旨のコメントもありました。
河野 そうですね。僕自身、その責任の一端は絶対にあると思います。「反省が足りない」というご指摘にも、その通りだなと思います。
ただ、これは今回の原稿を書かなければならなかった動機でもあるんですけど、彼を持ち上げたことに対する反省や責任ということは、少なくともテレビ界では誰も口にしなかったと思うんですよね。
前編でもお話ししたことですが、栗城さんが最後になぜエベレストで亡くなったのか。なぜ滑落してしまったのか。そして、彼にとって登山がどういうものであったのか。そうした詳細は、調べようと思えば調べられる。普通の取材者であれば、彼と長年付き合ったシェルパに行き着くはずですし、そのシェルパだって尋ねれば正直に話してくれる。
そうした「裏取り」の基本さえも怠って、彼が亡くなった時にはどこのテレビ局も、ただ淡々と事務所が発表した情報を伝えるだけだった。しかも、最初は死因について誤報を伝えてしまった。これはある種の怠慢ですよね。
ひょっとしたら、メディアの中では彼はもう最後まで、単なるトリックスターで良かったのかもしれない。ある種のキャラクターとして面白おかしく動画を提供してくれればそれで良いという、そういう存在でしかなかったのかもしれません。
番組制作者も記者も、誰も栗城さんとは本気で向き合っていなかったんじゃないかという思いはありますね。そんな苦い思いもあって、だからこそ彼について書かなければいけない、自分なりに「栗城史多」というひとりの人間に迫らなければならない、という意識は強くありました。
たとえ誰かに攻撃されたとしても、逆に誰かを傷つけてしまう可能性があっても、世に問う意義がある。そう信じて書き続けました。自分なりの「覚悟」というのは、そのうえで必要なものでした。
激しい毀誉褒貶と「空白の10年」。“異色の登山家”栗城史多氏を追った理由
『デス・ゾーン』著者・河野啓氏インタビュー【前編】