家康の天下統一を支えた味噌
粗食をする人にも、食べ物にまったくこだわりがない人と、こだわりがあるあまりにそうなる人の二通りがあるが、家康は後者だったように思える。そもそも、前者は自身の身体を顧みないタイプの人間がなるものだが、家康は生涯健康に恵まれたうえ、運動大好きな人物である。
今でいえば、ジム通いや登山が趣味の人が、マクロビオティックに至るように、家康も兵法、乗馬、水練と、己の身体との対話を繰り返した結果、麦飯と焼き味噌にたどりついたのだ。
家康には、白米にのせた麦飯を減らした近習(主君の側近くに仕える者)を𠮟責したエピソードが残っているが、家康にしてみれば「好きでやっているのにいらん気を遣いやがって」と腹立たしかったのだろう。
家康の味噌好きは将軍家に受け継がれ、文政8年(1825)3月、幕府が朝廷の使者をもてなした際の料理も「味噌汁」「敷味噌」「味噌漬人参」「味噌漬なたまめ」「味噌漬あいなめ」「刺身酢味噌」と味噌尽くしである。
カクキューの八丁味噌を買って帰り、シャモジに薄く塗ったものをあぶってみた。
ぷんと香ばしい味噌の香りがただよい、いやが上にも食欲をそそる。焦げ目が少しついたものを、麦飯のおにぎりと一緒に食した。
味噌はそれ自体の栄養もさることながら、共に食べるものの消化を促進する効能もある。食文化史研究家の永山久夫氏によれば、味噌1gのなかには生きた酵母菌や乳酸菌、麴菌などが、100万から1000万も含まれているという。これらの菌が、米のデンプンと結びつき、消化を助けてくれるのだ。
そんな理屈はさておいても、米と味噌はよくあう。
味噌のなかでも八丁味噌はうまみが強烈で、独特の渋味もあるのだが、それが却って米の甘味を引き立ててくれる。米と味噌が絡み合いながら、胃の腑に落ちると、両者一体となってぼっと燃え立つようだった。
ちなみに、これも永山久夫氏が書いていることだが、男性の精子の固形成分の80パーセントを占めるアルギニンというアミノ酸は、米と大豆に豊富に含まれている。家康は66歳で子供を作っているが、その精力の源は「麦飯おにぎりと焼き味噌」だったのだ。
生涯を通じて、せっせと励み、16人もの子供を作ったおかげで、御三家をはじめとする、強力な藩屛(はんぺい)を築きあげることができた。味噌は家康に健康と長命をもたらしたのみならず、未来の世代を築く基ともなったのだ。
家康に天下を取らせ、その平和を300年近く保たせた源は、まさに味噌の力だったのである。
文/黒澤はゆま