主人公・タカシを通して描かれている、
「子どもに会いたい」という切実な思い
『今朝もあの子の夢を見た』はコミックエッセイではなくフィクションだ。テーマは、野原氏が友人らから明かされた「子どもに会えなくてつらい」という告白から生まれた。
本書のタカシのように、離婚後、我が子に会えないつらさを抱えた友人が何人もいたのだ。
「私自身が数年前に離婚したので、友人らは心を許して打ち明けてくれるようになったのかもしれません。一般的には離婚して子どもに会わせてもらえないなんて、実はやばい人なんじゃないか、と思ってしまうかもしれませんが、学生時代からの友人なので、そんなに悪い人でないことはわかっているわけで。だから、どうしてそんなことになってしまったのか気になり、深掘りしていきました」
友人たちは会えない子どもを思い、よく眠れない日々が続いていたり、生きる意味がわからなくなったりするほど苦しんでいた。その様子は主人公・タカシを通して描かれている。
実は男性が我が子のことをこれほど愛おしく思い、切実に会いたがっているなんて、知らない女性も多いのではないか。そういう気づきを与えてくれる漫画でもある。
「悲しみを語ってくれた友人たちの、心の奥が震えているのを感じました。正直、そこまでの思いがあるとは知りませんでした」
真美の父親が、「父さんだってもっともっと抱っこしてかわいがりたかったよ」と真美に明かすシーンも、企業戦士だった父親のことを思い返す真美の姿に鼻の奥がツンとくる。
「これは私のおじの話を参考にしました。おじは新聞社勤務でほとんど家にいないほどいつも忙しく、おじの子どもたち=私にとってのいとこを私の家であずかったことがよくありました。
おじが迎えにきたとき、私が『おじさん、おじさん』と呼びかけると、いとこも父親なのに『おじさん、おじさん』と呼ぶので、おじは『悲しかった』と。そういう切実さがある。離婚して子どもに会えない父親のなかには、病んで自殺する方もいると知りました」
連載は、ちょうど国が共同親権の議論を始めたタイミングが重なった。日本で離婚後の子の親権は、両親のどちらかがもつ単独親権と定められているが、欧米などでは両親が2人で親権をもつ共同親権が主流で、日本にも共同親権を導入するべきかどうかについて、議論がなされているのだ。
しかし、『今朝もあの子の夢を見た』を描いたことに、政治的な動機はないという。
「法律の話を出したり、難しい言葉を使うと、読んでもらいにくくなると思い、むしろ、そういう色はなるべく出てないようにしました。タカシと妻と娘という、家族の小さな話にしたかったんです」
#2 野原氏が「『単独親権についての執筆は、触れてはいけないタブーだと思っていた』と本音を語った執筆秘話」の続きはこちらから