チッタとイタリアとの深い関係

今から20年前“労働者の街”に突如、イタリア街が出現。川崎はいかにして“カルチャーの街”になったのか_3
日暮里にあった第一金美館

改めて同グループの歴史を紐解くと、先見の明と“やるからにはとことん”の精神が垣間見える。原点は1922年2
月11日(諸説あり)に東京・日暮里にオープンした映画館「第一金美館」。

その後、映画館事業を拡大し、1937年に湿地帯だった国鉄川崎駅前の土地を購入して川崎に進出。最盛期には東京と神奈川で27館を経営し、映写技師養成のための「日本映写技術学校」も日本で初めて設立させた。日本映画史に果たした役割は大きい。

今から20年前“労働者の街”に突如、イタリア街が出現。川崎はいかにして“カルチャーの街”になったのか_4
1959年の川崎の映画街のにぎわい

しかし第二次世界大戦でほぼ全てを焼失。戦後は、映画街を中心とした川崎の街づくりに集中することになる。

その基盤を作った創業者、美須鑛(みす・こう)さんの孫に当たるのが孝子さんだ。1980年代に2代目社長の母、君江さんから事業を引き継いだとき、孝子さんはイタリアのファッション・ブランドFENDIの日本PR代表であり、夫はイタリア人外交官で、イタリアと非常に縁が深かった。
その人脈と文化を、事業に投影していくことになる。それがイタリア・ローマの老舗撮影所と同じ名を持つ映画館チネチッタであり、ラ チッタデッラだ。

チネチッタ開館のポスターは、イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニ直筆のイラストがデザインされ、こけら落としとして『インテルビスタ』(1987)が上映された。
また、ラ チッタデッラのデザイン・プロデュースを、「キャナルシティ博多」や「六本木ヒルズ」を手がけた建築家ジョン・ジャーディーに託した。
オープン時には歌手・福山雅治が写真家として参加し、ラ チッタデッラのデザインモチーフとなった、古くからのイタリアの街並みを捉えた写真展を開催した。

「モデルにしたサン・ジミニャーノは塔がいくつもあることで有名ですが、それを模したのがガラスのタワー。さらに丘の上に教会があるのですが、ウチもスロープを登っていくと頂上に教会があります」(土岐さん)。

“川崎にあるイタリア”は映像作品のロケ地としても有名で、松本潤&石原さとみ主演のドラマ『失恋ショコラティエ』や、広瀬すずと牧瀬里穂の共演が話題を呼んだ山下達郎「クリスマス・イブ」30周年記念エディションのプロモーション映像も撮影されている。