著者一家と瀬戸内寂聴が住んでいた“本郷ハウス”とは

そのマンションとは、東京の水道橋駅近く、白山通りの後楽園遊園地交差点から本郷通りに向かって壱岐坂をのぼる途中に建つ“本郷ハウス”。
当時、著者一家は7階に、瀬戸内寂聴は11階にそれぞれ住んでいたという。

L字型に2棟を連ねる1970年竣工の本郷ハウスは、現在も同地に威風堂々と聳え立ち、ヴィンテージマンションとして人気の物件となっている。
瀬戸内寂聴は得度後1年で、著者一家もその数年後には本郷ハウスを離れたというが、思い出が詰まるこの建物を見ながら、著者・長尾玲子さんに話を聞いた。

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『「出家」寂聴になった日』の著者・長尾玲子

――本郷ハウスは寂聴さんの“東京の仕事場兼住居”とありますが、ここ以外にも家があったのですか?

長尾 ええ、京都の御池にも家がありました。「週刊新潮」で『女徳』(注:人気芸妓から出家して京都の祇王寺を再興した尼僧・高岡智照をモデルとする小説。1963年単行本発売)の連載を始めた頃に借りたそうです。当時はまだ駆け出しの作家で、出版社から取材のための交通費も出なかったから、京都に住んだほうが安上がりだったそうです。

――1970年に新築された本郷ハウスに、寂聴さんも長尾さん一家も住みはじめたそうですが、親族同士で相談して同じマンションを買うことにしたんですか?

長尾 それが違うんです。本(『「出家」寂聴になった日』)の中でも触れていますが、まったくの偶然なんですよ。引越しの日にマンションの廊下でばったり会うまで、お互いに知らなかったのでびっくりしました。

――そんなことってあるんですね。でも、いま見ても東京のど真ん中に立つ大型の高級マンションという感じなので、新築当時はすごく話題になった物件だったんじゃないですか?

長尾 今でこそ都内には大きなタワーマンションがあちこちにありますけど、本郷ハウスは大型マンションの走りでしたからね。

――鳴物入りで分譲されたマンションだったんですね。じゃあ、当時の芸能人とかもたくさん住んでいたんじゃないですか?

長尾 残念ながら、芸能人はまったくいらっしゃいませんでした。同じ文京区の川口アパートメント(注:1964年竣工。 昭和の劇作家王・川口松太郎が建てたVIP仕様の豪華マンション。現在でもヴィンテージマンションとして人気)には芸能人がたくさん住んでいたんですけど、本郷ハウスは芸能人NGでした。入居者規約があって、住む人を管理会社側が選んでいたんですよ(笑)。

――今だったら職業差別だって騒がれそうですね。

長尾 そうですよ。売り手側の方が高飛車だった時代ですね。

――すると、寂聴さんのような文化人が多かったんですか?

長尾 場所柄か東大の先生、順天堂や東大病院、東京医科歯科大のお医者さんもたくさんいらしたようでした。

――なるほど。アカデミックな雰囲気ですね。

売れっ子作家として豪華なインテリアに囲まれて
暮らしていた瀬戸内晴美

――本郷ハウスは2つの棟に分かれていますが、同じ棟のフロア違いだったんですか?

長尾 そうです。大型のマンションだからエレベーター5機もありましたけど、使うエレベーターも同じ。つまり瀬戸内の部屋は我が家の4フロア上の真上でした。そんな偶然があるの?って、本当に驚きました。そうじゃなきゃ、こんなにこき使われることもなかったでしょうに(笑)。

――出家前から寂聴さんとの往来は結構あったんですか?

長尾 ありましたよ。瀬戸内はお手伝いさんを雇っていたんですけど、その人が休みで、出版社の人と外に食べにいく日以外は、いつもうちで夕食を食べていましたから。母と瀬戸内は、私が学校に行っている昼間にこの辺をよく散歩していたみたいです。2人でコーヒーを飲みにいったり、弥生美術館の方まで行ったり、上野松坂屋に買い物に行ったり。東京にいる間はほぼ毎日、家族同然に過ごしていましたね。

――寂聴さん、当時は瀬戸内晴美さんですが、お部屋はどんな感じでしたか?

長尾 ものすごくモダンで、とても贅沢に見えました。私、作家ってみんな生活に困り、質素に暮らしているもんだと思っていたので、瀬戸内のキラッキラの部屋には、「なんだこりゃ」って思っちゃいましたね(笑)。同じマンションなのに我が家と比べると、インテリアにかけているお金の桁が違いました。

――ネットで検索すると、ミッドセンチュリー風のかっこいいお部屋の写真がヒットします。

長尾 よく取材も受けていましたから、写真も残っているのでしょう。今では珍しくなくなりましたが、北欧家具の流行の走りの頃だったんです。家具はスウェーデンのローズウッドとチークで揃えていましたね。食器はダンヒルとアンデルセンと砥部焼。私たちはそれを見て「作家って、なんでこんなにお金があるのかしら?」と首を傾げるばかりでした。

――当時から売れっ子作家だったからですよね。

長尾 でも当時、中学生だった私がちょっとした原稿の依頼を受けて、原稿料をもらったとき、嬉しくて郵便為替で来た明細を瀬戸内に見せたんです。そうしたら、顔色が変わっちゃって。原稿用紙1枚あたりの稿料が、某有名出版社の自分の原稿料と同じだって言うんですよ。それで「ちょっと、値上げ交渉してくる!」と出かけて行きましたが、がっくりとうなだれて帰ってきました。聞くと、「(石原)慎太郎さんと同じなんだから、上げられません」と断られたそうです(笑)。

――有名作家でも、原稿料ってそんなものなんですね。でも寂聴さんは単行本が売れるからその印税が大きいし、文化人としてメディアに出る際のギャラとか講演料とかで潤っていたんでしょうね。

長尾 そうですね、多分。うん、よくわからないけど(笑)。

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今も変わらぬ姿で聳え立つ本郷ハウスを指差す著者