「このままじゃ死んじゃう」と保護して…
娘はクマに何を思うのか?

近所の人によれば、丸山さんは地元で生まれ育って、ゴミ拾いや町内会のボランティア活動も積極的にこなしていた。
元は猟師だったが、根が優しく、動物を殺傷するのは性に合わないと銃を置いて、鉄工所や土木現場で働いて生計を立て、最近まで田畑でコメや野菜も作っていたという。ペッペとの交流も、地元では有名だった。

射殺され埋葬されるペッペ
射殺され埋葬されるペッペ

「20年ぐらい前に、ここから10キロぐらい離れたさらに奥地の道路工事現場で、赤ちゃんグマを見つけたんだって。親とはぐれたのか迷ったのか、翌日も同じ場所にいて弱って動けなくなっていて『このままじゃ死んじゃう』って保護してきたんだよ」(近隣住民)

 連れ帰った赤ちゃんグマはミルクを与えると「ペッペッ」と音を立てて美味しそうに飲んだことから、丸山さんは「ペッペ」と名付けた。鉄製の頑丈な檻も作って飼育し、ペッペは近所の人たちからも可愛がられた。

「近所の人だけじゃなくて、松本市内から車で来た親子連れに『クマ飼ってるお家はどこですか』ってよく尋ねられたから、アイドルみたいな存在だったんじゃないか。餌はリンゴや柿をあげていたと思う。でも丸山さんは一度、エサやりの時に指を噛まれたことがあって、それからは革手袋してエサやりするなど用心してたんだけどね。身体も丈夫な人だったけど、最近は肺を悪くして、吸入用の酸素を背負って歩いていたなあ。ペッペのことが大好きだったから、切ないね」(同前)

ペッペが飼育されていた檻
ペッペが飼育されていた檻

自身も親族や周囲に「来年は初盆になる」と死期の近いことを告げていたという丸山さん。残された遺族にとっても丸山さんとペッペは、わかちがたい「家族」だった。

丸山さんの娘は、いみじくもこう言った。

「ペッペのことを思って近所の人が今日、リンゴとお花をお供えしてお線香を上げてくれました。お父さんのことは悲しいけれど、ペッペに罪はありません」

近隣住民が供えたりんごと花
近隣住民が供えたりんごと花

取材・撮影・文/集英社オンラインニュース班