国民が命を捨てても国を守る、国家を守るというのが、国防の本質
二点目は、ウクライナの戦い方は、さっき林さんも専守防衛という言い方をされましたが、本当にミサイル攻撃をここ数日受けても、ロシアのミサイル基地を攻撃するなんていうことは一言も言わないわけです。そういう武器も持っていないわけです。
それは、そんなことをしたらまさに戦争拡大の引き金になるということを理解しているからだと思うんですが、どうも日本ではその辺が理解されていない。
ゼレンスキー大統領が成人男性の出国を禁止して、国を守れということを言っているわけです。これは何かというと、よく日本の政治家は、国民の命を守るためにこういう防衛政策が必要ですということを言います。
しかし、防衛というもの、あるいは国防というものは、国民の命を守ってあげるんじゃなくて、国民が命を捨てても国を守る、国家を守るというものです。それが国防の本質だということをウクライナの戦い方から我々は見ることができると思うんです。
今のミサイルの時代、キーウにもまたミサイルが飛んできましたけれども、結局あれが示しているウクライナ戦争のもう一つの教訓というのは、ミサイルから安全な場所はないんだよねということです。だとすれば、そういう防衛力を増強して抑止を高めようという政策を取るのであれば、少なくともそれはミサイルの撃ち合いの戦争になるわけです。
日本に中国の戦車がいきなり海を渡って攻めてくることはないので。ミサイルの撃ち合いになることを前提とした上で、そのミサイルが軍事施設に当たり損ねて近所の村落に落ちたらどうするんだということは当然考えなきゃいけないわけです。
ところが、そういう戦争は被害想定をしないとできないはずなのに、被害のことは全く考えていない。敵基地攻撃をすれば抑止力になり、対処力になるというだけの話になっている。敵基地といっても、中国沿岸部にある幾つかのミサイルを潰すことはできると思います。
だけど全部じゃないわけですね。残ったミサイルが飛んでくるんです。こちらが行うのは本土攻撃ですから、向こうも本土攻撃を盛んに拡大していく口実ができるわけです。そこまで見据えてやらないと、防衛政策は成り立たないだろうということをウクライナの事態は示してきている。
そして、国民にそういう犠牲を求めるのであれば、台湾防衛のためにどんな犠牲を負ってくださいと政府がいうのかが問われます。また、何のために国民は命をかけることができるのかということを国民自身が問うていかなければいけない。そういうことをウクライナの戦争は我々に示しているんじゃないかということです。