10年以上も続いた“売れない時代”

ハリウッドに行ったものの、売れない役者時代は10年以上。お父さんから「ワケのわからない仕事は辞めて、まともな仕事につきなさい」という長い手紙が、7〜8年届き続けたそうです。そのときの手紙は、全部取ってあると教えてくれました。

「僕はハリウッドの中で、非常にラッキーな人間だといつも感謝している。売れない時代は、俳優として決して誇りには思えない、恥ずかしいようなテレビ番組に沢山顔を出していた。出演した番組そのものがひどいというよりは、その中の自分がひどかったということ。

とにかくサバイバルするためになんでもやったという感じ。当時は、誰もジョージ・クルーニーなんていう役者の存在さえ知らなかったから、今も、僕がどんなテレビ番組に出ていたか知る人は少ないと思う。僕のキャリアはドラマ『ER救急救命室』でスタートしたと思っている人が沢山いるのは、ありがたいことなんだ。意地悪いデジタル・メディアもなかった頃だしね」

「ソックスを履き替えるように彼女を替えていた」ジョージ・クルーニーが“永遠のバチェラー”から“ファミリーマン”と化すまで_3
出世作となった大ヒット・ドラマ『ER救急救命室』
Sven Arnstein/NBC/ロイター/アフロ

彼は、この時代に友達のアパートのソファで寝泊まりしていた話をよくします。そのソファを提供してくれたひとりが、現在の仕事のパートナー、グラント・へスロフ(俳優、脚本家、プロデューサー)。「有名になったらお返しするよ」という、売れない時代のジョージの言葉を優しく聞き流してくれていた親友です。

現在は、「スモークハウス」というバーバンクにある有名なステーキハウスから名前をとったプロダクション・カンパニーを、ジョージと共同で経営。彼らがプロデュースをしたベン・アフレック監督作『アルゴ』(2012)は、アカデミー作品賞を受賞しました。

黒歴史『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』

「ソックスを履き替えるように彼女を替えていた」ジョージ・クルーニーが“永遠のバチェラー”から“ファミリーマン”と化すまで_4
『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』で、バットマン/ブルース・ウェインを演じたジョージ。左はジュリー・マディソン役のエル・マクファーソン
Album/アフロ

1994年から放送されたドラマ『ER救急救命室』の成功で名を上げたジョージ。彼に初めて1対1で取材したのは『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』(1997)のときでした。雑誌「ロードショー」のためのインタビューです。

印象的だったのは、「『僕はもう、テレビ俳優から脱却するんだ』と自分に言い聞かせていた時期だったから、バットマン役は天から降りてきた救いの神だった」という言葉。

ところが、この映画は興行収入につながらず。失敗作というレッテルを貼られました。「バットマン・シリーズを破壊した男」とまで酷評されたのです。

別のインタビューで「人生でやり直したいことはありますか?」と聞かれると、「『バットマン&ロビン』を作り直せるものなら作り直したい」と言っていました。本気なのか、独特のジョークなのか定かではないのですが……。

そんな彼も、今やハリウッドの大物。『シリアナ』(2005)ではアカデミー助演男優賞を受賞し、前述した『アルゴ』では、プロデューサーとして作品賞を受賞しています。

実力のある俳優、監督、プロデューサーとしてだけでなく、近年はダルフール問題に熱心に取り組み、人道的活動も積極的に行うアクティヴィストとして、基金集めにも走り回っています。

今も住んでいるハリウッドヒルの上にある家は、『ER救急救命室』で成功後、1990年代の初めに購入したもの。クリントン大統領やオバマ大統領の選挙用ファンドレージング(資金集め)も、この家で主催していました。