――アイドルを辞めようとは思わなかったんですか。
正直そこからは自分にとって地獄でしたね。自分的には「正統派でいける」と思っていたから、まさかバラエティー担当とは思ってなくて……。「私は可愛くないから、お笑いをやらないといけないんだ」って思い込んで、その路線を目指すようになりました。
――LinQ時代のことをもう少し教えてください。
本当に人気がなかったんです私。ライブが終わったら個人別の列に並ぶサイン会があって、人気がダイレクトにわかるんです。「あの子は何十人並んでいるから人気があるぞ…」みたいな。私の両隣のメンバーの列はめっちゃ並んでいるのに、私だけ穴が開いているみたいになっていました(笑)。
――今の試合後の行列からすると、信じられない光景ですね。当時はどういう心境でいましたか?
ファンが来ないので何をしていたらいいのかわかんないんです。サイン会は2時間ぐらいあるので、一度、途中で昼寝しちゃいました(笑)。「私、何しているんだろうな」って悲しくなりましたね。
倒立ができなくて半年練習。
念願のレスラーデビューもバイトまみれの日々
――正式にレスラーとしてデビューしたのは?
練習生になったのが20歳で、デビュー戦は21歳になっていたと思います。練習生の時は、自分がレスラーとしてデビューするビジョンが全く見えてなかったんです。
――それはどうしてですか。
プロレスは受け身が大事なのですが、倒立ができないと、投げられた時の受身ができない。だから絶対に倒立だけはできないといけないんですね。でも私は倒立ができるまでに半年かかっちゃったんです。よくコーチから怒られてました。「それじゃいつまでたってもデビューできないよ」って。泣きながら倒立の練習をしていました。
――練習で一番きつかったことは?
そもそもプロレスが好きで始めたわけじゃなかったので、そこが一番きつかったですね。練習も楽しいと思えなかったから、身が入らなくて……。でもそのデビューしないままで終わるのは、福岡のみんなに恥ずかしい。このままだと顔も合わせられないと踏ん張れました。
――念願のレスラーデビュー、当時のことは覚えていますか。
実はレスラーとして本腰を入れるために東京に出てきた時が一番辛かったんです。バイトしながら、まだ辞めていなかったアイドルのレッスンも、プロレスの練習も全部やっていたんです。だから肉体的にはものすごくきつかったですね。
――当時はどのような生活を?
本当に朝から晩まで働いていました。ガールズバーのような夜系のこともやっていたし、昼間はパチンコ店でも働いていました。焼肉屋でもネカフェでもとにかく仕事ができず、面白いと思えず、バイトが続かなった(笑)。ただ、絶対にこの生活は終わらせてやろうと思っていました。