1.17からの挫折と遊園地
男女の役割を考える時、私にとって忘れがたい遊園地があります。それは2003年に閉園した宝塚ファミリーランド。両親とよく出かけた楽しい思い出の地ですが、そこには苦い記憶も残っています。
1995年1月の阪神淡路大震災。県外から応援に来た記者たちは「すごい現場だ!」と嬉々として取材しているように見えました。私自身は多くの命が奪われた街で喪失感と無力感に苛まれてモチベーションが下がり、その年12月に長男を出産し職場から離脱します。
ですが、入社時の目標は「定年まで働く」。結局、仕事は辞められず5か月後に復帰、MBS初のママさん記者になります。その後は保育園の送り迎えを一人でやりくりし、息子は愛おしいがきつい日々。
そんなある日、1歳をすぎた長男をバギーに乗せてファミリーランドへ。ところが園内の歓声が聞こえてくるにつれ、楽しいはずの遊園地で無性に悲しくなり、涙が溢れて止まらなくなったのでした。
自身の意志で働き続けたものの、幼子を抱えて現場で思うように取材できなくなり、良き母親であれとの期待感に負けて仕事を自己抑制しているやるせなさがどっと込み上げたのです。心は自由でありたいと願うのに、育児・家事などの責任が重くのしかかる女性たちは、否が応でも葛藤を抱えます。
その背景に戦前から続く家父長制があり、保守政治家と結託する宗教勢力も家庭に女性を縛りつける教条を掲げます。
5年前、安倍内閣の最大のテーマが「人づくり革命」だと耳にしてあ然としました。「個人」を「人」へと軽んじ、「家族」に対し責任と義務を一層強く求める憲法改正を目指す政権がそんな「革命」を実行できるはずありません。
革命とは内側から生まれる自由意志。上から押し付けられるものとは相いれないのです。革命をまるで理解していない。「ベルばら」を読んでほしい、私がそう思った出来事でした。