「愛国」ではなく、子どもたちへ愛を
映画の公開後、全国40か所以上の劇場で善き人たちとの出逢いを繰り返し、これらの僥倖に感謝しています。新潟県上越市の「高田世界館」ではこんな出来事がありました。
近くの上越教育大学の学生さんが上映後「望ましい日本人像をどう教えたらよいのか」と悩みながら質問してくれたのです。その時、ぱっと浮かんだのが、映画に出演する平井美津子教諭の教え子で高校3年のT君からの感想です。
「僕は、大切なのは日本人であることに自信を持てる教育ではなくて、ただ一人の自分であることに自信を持てる教育ではないのかなと思います。自分がかけがえのない存在だと思うこと、それは大人に押し付けられるのではなくて自分で見つけたい」
教育は、子ども一人一人が主体的に学び、自ら成長できるよう導くものです。それには自由があって多様性を重んじる社会が欠かせません。まさに心は自由なのです。戦前の日本は、命は天皇に捧げるとする公教育が徹底され、自身の尊厳を重んじる自由はなく、特攻隊といった人命無視がまかり通ったのです。
いまロシアでは、戦前の日本と同じように愛国教育が行われ「特別軍事作戦」が支持される一方、ウクライナでは何の罪もない人びとがその侵略戦争によって無差別に殺されています。誰もがこの凄惨な現実に戦慄を覚え、戦争を止めたいと願いますが、進行するこの戦争を止めることができるのはロシア国内の人びとです。
「教育と愛国」を考えるとき、時の政権に対して従順な民が果たして愛国者なのか、教育現場はそんな愛国者を育てたいのか、といった重要な問いが生じます。これは左右のイデオロギーの問題ではありません。批判的に物事を考え、自由に表現できる民こそが自由と平等の守護神なのだと私は感じます。
この映画をなぜ製作できたのかと自分に問えば、それは私が「おんなこども」だったからです。これは性差を指すのではなく、日ごろのポジションです。なぜ自分はここにいるのかと問わずして仕事を続けられませんでした。教育現場で出会った大切な人たちの声、その声に連なる小さな良心を支えにしたからこそ映画にいきついたのです。
この国では本作で描いた通り、検定を通った教科書でさえも政権の閣議決定でいかようにでも変えられるようになってしまいました。学問の真理がときの権力しだいで歪んでしまうものにされた今、教師や子どもを守るには一刻の猶予もないのです。
戦争を遠ざけて平和を築く「教育」とはどうあるべきか、歴史と戦争をどう子どもたちに教えるべきか、ひとりひとりの思いが勇気へと膨らんでほしい、そう願います。それぞれの地の子どもたちにできうる限り愛を注いで。
文/斉加尚代
「教育と愛国」
監督 斉加尚代
プロデューサー 澤田隆三、奥田信幸
語り 井浦新
公式サイトhttps://www.mbs.jp/kyoiku-aikoku/
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