橋下徹氏からの面罵とネット炎上

教育現場をずっと取材してきた私は、この自由の精神がまさに壊されそうだと感じる事態に直面します。大阪維新の会が教育関連条例を次々に可決、その最初が「君が代を歌わない」先生を処分してガバナンス(支配)を強めることでした。

国歌を歌うかどうか、それは内心の自由です。ところが歌っているかどうかの「口元チェック」までする府立高校校長が現れ、当時の橋下徹大阪市長がその管理行為を「素晴らしい」と称賛、自由を跪かせる政治に危機感を抱いた私は大阪府立高校の全校長に急いでアンケートを送付して意見を求めました。

すると回答した校長の多くが、口元を管理職が監視するというのは、大切な人間への信頼と敬意を損なう行為だと批判を寄せます。その結果を市長の囲み会見で示し、心の自由に対する見解を問い質そうとしますが、ただ面罵されてネット炎上を招く結果になりました。しかし、あれは今も必要な取材だったと考えます。

人権は最初からそこにあったのではなく、血を流し、尊い犠牲を出して、掴み取ったものだと私は「ベルばら」に教えられました。

オスカルは自らの言葉を行動に移します。自由と平等と博愛のために、市民に大砲を向ける監獄への進軍を決意し、「バスティーユへ!」と叫ぶのです。国王の衛兵隊が市民革命に舵を切った瞬間でした。

民衆の側に立ったオスカルとアンドレは、激しい戦闘の末、ふたりとも命を落としますが、遺志を継いだ者たちの手によってついに「フランス人権宣言」が採択されます。

ベルサイユ行進と呼ばれる場面も登場します。それは、「女たちの大集団がずぶぬれになり、泥まみれになり、飢えとはげしい怒りにふるえながらベルサイユへの壮絶な行進」をした事実に触れるもの。女性たちは、槍やこん棒などの武器を携えて立ち上がり、この革命に多大なる貢献をしたのでした。

しかし、革命後の事実は残酷でした。池田さんはその後の著作「フランス革命の女たち」で次のように触れます。

「如何に、進歩的と言われる革命家の男性たちが、女性の社会進出を恐れ、憎み、知性を持ち目覚めた女性たちを家庭に押し込めようとやっきになっていたことか」

実のところフランス革命で誕生した人権は、男性だけのものです。あの命がけのベルサイユ行進を行った女性たちは報われなかったのかと私も知った時はショックでした。フランスで女性に参政権が与えられたのは第二次世界大戦が終結した直後。日本国憲法第24条が「男女平等」を示して日本の女性が参政権を得たのとほぼ変わらないのでした。