感情を表に出さなかった理由
現役の間は、まったくと言っていいほどテレビ番組に出演することがなかった。取材依頼があっても、シーズン中はお断りすることがほとんどだった。そもそも、自分がついつい口に出してしまったことで、後日「あの時はこんなことを言っていた」などと言われると、余計なプレッシャーになる。
自分からマイナス要因を作るようなことは、できるだけしないほうがいいという判断だった。結果として不愛想になり、「鳥谷はしゃべらない」というイメージもついてしまっただろうし、「鳥谷は覇気がない」というようなこともしょっちゅう言われた。批判する人も多くいたとは思う。
でも、自分で決めてやったことなので、まったく気にならなかった。言い訳をするつもりもない。ある程度の結果は残せたのだから、あながち間違った選択ではなかったのだと思う。
人からどう思われるかを気にしない反面、自分の価値を高めることについてはかなり意識をしてきた。
例えば、宝石でも磨かれていなければ、ただの石だと思われて手に取ってもらえない可能性が高い。手に取ってもらったとしても、その価値に気づかず捨てられてしまうかもしれない。
常に磨いておきさえすれば、必ずそこに価値を感じてくれる人がいる。自分は置かれたところで自分の価値をどうやって高めるか、ということだけを考えればいいと思っていた。
余計なことは言わないと決めていた現役時代は、質問をされても、できるだけ感情を入れないような答えを返していた。会見で話した内容ですら、ほぼ覚えていないぐらいだ。
「この時こう言っていましたが、実際はどうでしたか?」と聞かれても、考える労力を割きたくないのだから答えようがない。
あくまでもグラウンドで結果を出すことが自分の価値であり、インタビューで面白いことや、人に勇気を与える発言をすることが自分の価値ではないと思っていたので、そういった対応になってしまっていたのだ。
記者の方も、自分の考えを聞きたいというよりも、イメージする見出しに合う言葉を求めて、聞いてくることが多いと感じていた。それにうまく乗っかっておけばいいという発想だったし、自分の考えを言葉で伝えるということをしてこなかった。
野球をやめた今は、自分の考えをしっかり伝えないと、相手の受け取り方によっては誤解を生んでしまう。プロ野球中継の解説などで、いざ自分の考えを伝えようと思った時にうまく言葉が出てくるかどうか、少し不安な部分はあった。
実際にやってみて、自分でも驚いたのだが、伝えたいことを決めて、筋道を立てながら話すという作業が、思ったよりもできている気がする。鉄仮面と言われるぐらい無口なイメージがついていたので、自分の考えを普通にしゃべっただけで、良く思ってもらえているだけなのかもしれないが、いずれにせよ、これからは人に伝わるような話し方をしていきたいと思っている。
写真/共同通信社