“バットマン”誕生秘話
最大の危機は、2017年5月24日。甲子園で、読売ジャイアンツとの伝統の一戦。5回裏1死三塁の場面で打席に入った。マウンド上には吉川光夫投手。144キロのストレートが顔付近に向かってきた。
「あれ? 鼻が……」
当たった感覚はなかったが、その場にうずくまって、しばらくは動けなかった。鼻から血が滝のように滴り落ちてくる。ベンチから監督やトレーナーが駆け寄ってきて、心配そうにのぞき込まれる。
意識ははっきりしていたが、顔を覆ったタオルが信じられないくらいのスピードで真っ赤に染まっていった。鼻骨骨折。振動による痛みはある。だが、肋骨の骨折に比べると動き的には問題がなさそうだったので、トレーナーに「なんとか試合に出る方法はないか」と相談した。
その結果、万が一、同じ場所にボールが当たってしまうと大変なことになるので、患部を固定する黒いフェイスガードをつけることとなった。2002年、サッカーの日韓ワールドカップ開幕直前。当時、日本代表のキャプテンだった宮本恒靖さんが、鼻を骨折されて、ゴーグルのようなフェイスガードをつけたまま試合に出ていたのを覚えている方もいると思う。このフェイスガードと同じようなものを作ってもらうことになった。
ただ、どんなに早くても作るのに5時間はかかるという。翌朝7時に家を出て、型を取ったのが8時半。午後になり、できあがったフェイスガードを装着し、問題がないことを確認する。グラウンドに到着したのは、全体練習が始まる直前だった。
読売ジャイアンツの高橋由伸監督、吉川光夫投手から謝罪を受けた。打席に立っていて、わざとではないことはわかっているので、吉川投手には「気にしなくていいよ」と伝えた。さすがに先発メンバーからは外れて、この日は代打での出場。恐怖心を振り払おうと思って、初球から振っていった。三塁ゴロに倒れたのだが、いつも以上に大きな声援をいただいたことを覚えている。
ただ、痛みはもちろんのことだが、ボールが当たった衝撃で鼻の中が切り傷だらけになり、鼻血が止まらない。寝る時も痛み止めの麻酔を染み込ませた脱脂綿を鼻に入れたまま止血しないといけないような状態だった。鼻で息ができないので、苦しくて眠ることができない。
3日ほど経っても、まだ鼻の周りや上唇のあたりがパンパンに腫れている。担当医からは、代謝が上がると余計に血が出るから……と止められていたのだが、いっそのこと全部血を出しきってやろうと思い、無理やりサウナに入った。これがよかったのかどうかわからないが、結果的にはその後、出血も止まり、腫れもひきはじめた。
写真/共同通信社