これからも新たな怪談は生まれ続ける
やがて闇のなかに、彼女のヘッドライトが見えた。森のなかには、私と彼女しかない。そこで、ふと不安がよぎった。本当に、彼女は彼女なのか。彼女が違うなにかに入れ替わってしまったんじゃないか……なんて想像してゾッとしました。
――確かに、それは怖いです。
結果として言えば、幽霊の正体見たり枯れ尾花なんですけどね。でも、そこが怪談の面白いところ。昔の怪談話って幽霊が出るのは月夜の晩と決まっていた。月明かりで人影に見えた柳やすすき、あるいは「カッカッカッコ」っていう下駄の音、「チャポーン」って鯉が堀で跳ねる音……。
下駄の音が聞こえたら、女がくるはずなのに、もしも女が来なかったら……それはなんの音だったのか。人間にとって、納得できないって、恐怖ですよ。そうした想像力が怪談を生んだんでしょうね。
昔は、東京・赤坂にもずんべらぼう(のっぺらぼう)が出た。月夜の晩に、紀伊国坂でしゃがみ込む若い女に、男が「お姉さん、大丈夫かい」って声をかける。女が顔をあげると目も鼻も口もないずんべらぼうだった。
驚いて弁慶橋まで逃げて行った男が、やっと見つけたそば屋の屋台に逃げ込むと、主人ものっぺらぼうだった――そんな有名な話も残ってますよね。
――いまは赤坂の夜も明るいから、のっぺらぼうも出てこないのかもしれませんね。
そうだね。クルマも走っているし、妖怪や幽霊も出てきにくいのかもしれない。私は、いつも怪談は考古学に似ていると話しているんですよ。
ある土地に幽霊が出るという話があったとします。私に話してくれた人は誰かに聞いたと言う。誰が最初に幽霊に出会ったか調べると、ある事件が代々語り継がれ、土地に広まっていったと分かることがある。
幽霊を見た人、土地の歴史、怪異の発端となった事件、時代や社会の変化……様々な情報を集めて、幽霊があらわれる背景を推理し、因果を想像していく。そうやって私の怪談ができあがっていく。
時代や社会がどんなに変わっても、人間にとって未知のもの、理解できない不思議な現象は、きっとなくならないでしょう。だから想像力がある限り、これからも新たな怪談は生まれるはずですよ。
――〝怪談ナイト〟がはじまった30年前と今では、日本も大きく変わりました。稲川さんご自身にも変化はありますか。
そりゃ変わったでしょう。あんなにもたくさんあった公衆電話ボックスがなくなった。パソコンやインターネットが普及し、いまやみんなスマホ。街のつくり自体もそこで暮らす人の生活も違う。
私自身はあんまり変わっていない気がするんだけど、周りが変化している……いえ、私も年をとった。当時40代の若造が、いまや75ですからね。
この年になると何を言っても大抵のことは、世間が許してくれる。それに、怪談は、年寄りの方が絶対に似合う。半世紀も怪談を語り続けてきたから、いつの間にか私も、妖怪かタヌキに近づいているのかもしれませんね(苦笑)。
取材・文/山川徹 撮影/村上庄吾
稲川淳二「怪談ナイト」30年。“元祖リアクション芸人”はなぜ怪談をはじめたのか? はこちら
30年連続公演‼ 今年もあいつがやってくる…
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