忌野清志郎と過ごした夢の時間
――9月21日には、『夜桜お七』に続く、アナログ盤(レコード盤)第2弾、『火の国の女』を発売。同日、これまで冬美さんが出演された『紅白歌合戦』のBD、DVD、その名もズバリ、『坂本冬美NHK紅白歌合戦の軌跡』もリリースされます。
紅白の映像は、永久封印してしまいたい、恥ずかしい映像もあるんですけど……でも、どーしても、入れたいというご要望があって。シブシブといいますか、もう、この際だから、ど〜んといっちゃえといいますか(苦笑)。ご覧いただければ幸いです。
――最後にもうひとつ、雑誌で連載していたコラム『坂本冬美のモゴモゴモゴ』を一冊にまとめた冬美さんにとっては、はじめての書籍が発売になります。
これまで出させていただいたシングル曲にまつまわるお話と、その前後にあったエピソードを綴ったものなんですが、書いているうちに、あんなこともあった、こんなこともあったと、色々と思い出して。
あぁ、こんなにたくさんの方にお世話になっていたんだと、あらためてそのことに気付かされた感じがしています。
――デビュー曲『あばれ太鼓』では、恩師・猪俣公章先生に面と向かって、「先生、この歌は、流行らないと思います」言ってしまった……というエピソードは、読んでいて思わず、ヒヤヒヤしてしまいました。
私としては、石川さゆりさんのような女歌を歌いたいという思いがあって。しかも、歌手にとってデビュー曲というのは一生ついて回るものじゃないですか。それがよりによって、『あばれ太鼓』って……うわっダサっ……と、ついつい思ってしまったんです(苦笑)。
当時、私は19歳。怖いもの知らずで世の中のことを何ひとつわかっていない、生意気でイケイケの女の子でしたから。
――猪俣先生が亡くなった後、三木たかし先生が曲を書かれた『夜桜お七』がメガヒット。その誕生秘話も、そんなことがあったのか?と前のめりで読ませていただきました。
これはだめだ、坂本冬美を潰す気か!? という声が、社長を筆頭に、東芝EMI(現ユニバーサルミュージック)内に溢れて。お蔵入り寸前まで追い込まれたんです。その窮地を救ってくださったのが、三木たかし先生で。
「30万枚売れなかったら、頭を丸めて責任を取ります」とおっしゃってくださって。先生の一言がなければ、『夜桜お七』は、世の中に出ていなかったかもしれません。
――遠い空の上で、猪俣先生が地団駄を踏むこともなかった?
そうですね。きっと猪俣先生のことだから、三木先生に、「なんだよ、お前。冬美にこんないい曲を作りやがって」と言いながら地団駄を踏み、そのあとキュッと一杯、お酒をひっかけながら、「でも、俺だったら、もっといい曲を作っていたぞ」と得意げに呟いているはずですから。
――『夜空の誓い』『日本の人』『Oh,My Love〜ラジオから愛のうた〜』と、3度登場する“THE KING OF ROCK”忌野清志郎さんの回は、グッと胸が熱くなりました。
音楽と一口にいっても、いろんなジャンがありまして。そのひとつひとつを隔てる壁は、結構、分厚いものがあり、演歌歌手としてデビューした私はずっと演歌を歌っていくものとばかり思っていたんです。
その壁を、ヒョヒョイのヒョイと、いとも簡単に乗り越え、演歌もいいけどロックも楽しいよ、こっちへおいでよ、と私の手を引いてくださったのが、忌野清志郎さんでした。
――清志郎さんにとっては、坂本冬美じゃなく、FUYUMI SAKAMOだったんですね。
私のことをFUYUMI SAKAMOと呼んでくださったのは、後にも先にも清志郎さんおひとりです。なぜ、私に声をかけてくださったのか!? なぜ、FUYUMI SAKAMOだったのか? それをお聞きできなかったのが唯一の心残りですが、でも清志郎さんと過ごさせていただいた一瞬一瞬が私にとっては大事な宝物だし、すべてが夢のような時間でした。
――他にも、先輩の五木ひろしさん、阿久悠先生、横山剣さん、御大・北島三郎さん……などなど、たくさんの方との出会いや素敵なエピソードが詰まった一冊は、冬美さんの歴史そのものです。
ひとりごとのような気持ちで書いたものが一冊になるというのは、ちょっと恥ずかしいような気もしますが……かしこまらず、気楽な感じで、読んでいただけたら嬉しいです。
明治座 坂本冬美特別公演 中村雅俊特別出演
20222年9月20日〜10月18日
第1部『いくじなし』
作:平岩弓枝
演出:石井ふく子
出演:坂本冬美・中村雅俊 ほか
第2部 坂本冬美オンステージ2022 艶歌の桜道 スペシャルゲスト:中村雅俊
https://www.meijiza.co.jp/info/2022/103/
撮影/大藪達也 中村功 取材・文/工藤晋