サッカーを取るか、命を取るかの選択

木村 今日、大野さんとお会いすることになって、あらためてお聞きしたいなと思っていたのは、2007年11月にオシムさん(当時、日本代表監督)が倒れたときのことです。一報が入ったときに、大野さんは医師をしている弟さんに連絡を取って、相談されたということでしたよね。

大野 あのときアマルから連絡をもらって、すぐに救急車を呼んだのですが、「どこの病院へ行くんですか」と聞かれて困ったなと思い、弟に電話して相談しました。

弟は医師で、あの頃、慶應大学病院に勤めていました。オシムさんは普段は御茶ノ水の順天堂大学病院に行っていましたけれど、順天堂の浦安病院がご自宅のすぐ近くなので、弟がそちらに電話をしてくれました。当直のお医者さんに状況を説明して、受け入れが可能だと言ってくれたので、救急隊員に「順天堂の浦安に行ってください」と頼んだんです。

木村 その措置が的確だったですよね。それから、以前にちょっとうかがっていたのは、措置を施すうえで、判断を迫られたということでしたね。2つの選択肢があったと。

大野 はい。病院に入ってから、いろいろと検査をして状態をチェックする段階での話です。完全に治す方法を採るのであれば、薬を投与しなければいけないと。ただ、検査をしたところ、結果は「薬の投与にリスクあり」ということでした。

「それでも薬を投与するかどうかは、ご家族の判断です」と言われました。それで、アシマさんとアマルの二人だけで話をしていたと思いますが、最終的にはアシマさんの決断で、「投与しないで、確実に命を救う方法を採ろう」ということになりました。

木村 その判断は、生前のオシムさんは、ご存じだったんでしょうか。

大野 うーん、わからないですね。