オシム家を感動させた反町氏のスピーチ

大野 ボバンのスピーチの次に、日本サッカー協会の反町康治技術委員長がスピーチをされたんです。ちょうどそれより5日ほど前に、オシム家の方から私に連絡がありまして、「日本サッカー協会からどなたかがお別れの会に来られるんだったら、スピーチをお願いできないか」という打診がありました。

反町さんがいらっしゃる予定だったので、そのことをお伝えしたところ、反町さんにお話がいったようで。反町さんはそこから相当ご準備されたようです。英語で素晴らしいスピーチをされて、オシム家の皆さんも感動しておられました。

故・オシム氏「命を取るか、サッカーを取るか」知られざる家族の決断_2
株式会社アスリートプラス代表取締役の大野祐介氏。オシム氏が日本代表監督に就任した2006年から、亡くなるまで16年間代理人を務めた

木村 オシムさんのご家族の様子はどうでしたか?

大野 もちろん奥様のアシマさんは、相当悲しんでいらっしゃいましたけれども、それ以上に、長女のイルマさんが憔悴されていましたね。イルマさんは、オシムさんが亡くなられたとき、たまたまサラエボから遊びに来ていて、娘のセリアさんと一緒にグラーツのオシムさんの家に泊まっていらしたんです。それだけに、ショックが大きかったのかもしれないですね。

オシムさんが亡くなったニュースを聞いて、最初に僕が連絡を取ったのが次男のセリミルなんですけれど、セリミルは、前の晩遅くに出張先から帰ってきて、その早朝にオシムさんが亡くなられたということでした。

オシムさんは、明け方に「トイレに行きたい」と言って起きて、トイレに行くときに「ちょっと苦しい」とおっしゃって横になり、そのまま亡くなられたらしいです。

木村 そうですか。しかし、ある意味では虫の報せというか、家族がたまたまそれだけ集合していたんですね。

大野 そうですね。残念ながらボスニア在住の長男のアマルだけはいなかったです。イルマさんの長女のセリアさんには、僕は2010年の南アフリカワールドカップのときに初めてお会いしているのですが、そのときは2歳くらいだったと思うので、12年経った今は、14歳くらいでしょうか。

そのセリアさんは、2014年のFIFAのボスニア制裁のとき、オシムさんが「正常化委員会」の会長としてサラエボにいた際に、イルマさんのお家にしばらく滞在されていたので、かなり長い間オシムさんと一緒に過ごしていたわけです。

2014年のワールドカップのときにも私はサラエボのイルマさんのご自宅におじゃましました。その頃、ずいぶんオシムさんになついていたので、一番、悲しんでいたのはお孫さんのセリアさんだったかもしれません。かわいがってくれていたおじいさんの死に直面して衝撃を受けているという感じでした。